「南(みなみ)」と「北(きた)」の語源、「みなみ」は存在したが「きた」は存在しなかった

奈良時代の日本語には、ɸimukasi(東)、nisi(西)、minami(南)、kita(北)という語がありました。この中で、kitaは訳ありです。kitaは、使用例があまりなく、「向南」と書かれることもありました(上代語辞典編修委員会1967)。「向南」という書き方を見ると、minamiが主たる方向で、kitaはその反対方向であるという見方が窺えます。

なぜminami(南)が主たる方向なのでしょうか。それは、言うまでもなく、太陽が照っている方向だからでしょう。太陽が照っているminami(南)が人々の注意を引き、主たる方向として意識されるのはわかります。また、ɸimukasi(東)には日の出、nisi(西)には日の入りという見せ場があります。これらに比べると、やはりkita(北)は地味です。

minami(南)の語源

主たる方向であるminami(南)の語源から考えることにしましょう。古代中国語では、tuwng(東)トゥン、sej(西)セイ、nom(南)、pok(北)と言いました。朝鮮語では、tong(東)トン、sɔ(西)、nam(南)、puk(北)と言い、ベトナム語では、đông(東)ドン、tây(西)タイ、nam(南)、bắc(北)バ(ク)と言っています。見ての通り、朝鮮語とベトナム語では、古代中国語(様々な方言があります)から取り入れた語を使っています。一般に東、西、南、北を意味する語があまり古くないことを思わせます。

日本語のminami(南)を古代中国語nom(南)、朝鮮語nam(南)、ベトナム語nam(南)と比べるとどうでしょうか。日本語のminami(南)は一見別物に見えますが、最初のmiを取り除くと、実は似ています。昔の日本語では、尊敬・畏敬の念を示すmiをya(家、屋)にくっつけてmiya(天皇らの住居)と言ったり、miをkokoro(心)にくっつけてmikokoroと言ったりしていたので、miは気になります。

ひょっとして、日本語では南のことを*namiと言っていて、これに尊敬・畏敬の念を示すmiをくっつけたのでしょうか。実際、筆者はそのように考えていた時期がありました。ちょっと違うようです。仮に日本語で奈良時代よりずっと前に南のことを*namiと言っていたとしましょう。そのように*namiがある方向を示す語だったら、逆の方向を示す語も早くにできそうなものです。しかし、奈良時代の日本語を見ると、kita(北)は使用例が乏しく、この語は生まれつつある段階あるいは生まれたばかりの段階にあるように見えます。*namiがある方向を示す語だったという仮定に、大いに疑う余地があります。

*namiがある方向を示す語でなかったのなら、*namiはなにを意味していたのでしょうか。*namiは、太陽そのものを意味していた可能性が高いです。これなら、昔の日本人が*namiの前に尊敬・畏敬の念を示すmiをくっつけた理由がよくわかります。現代の日本人がhi(日)のことをohisama(お日様)と呼ぶようなものです。

*namiにmiが付けられたminamiは、太陽を意味していたが、ɸi(日)に押し負け、太陽が出ている方向を意味するようになった。minamiがある方向を示す語になり、逆の方向を示す語が必要になった。この逆の方向を示す語になったのが、kitaであった。こう考えると、筋が通ります。

太陽を意味していた*nami自体の語源はどうでしょうか。これは明らかでしょう。日本語のɸi(日)が「水」から来ていたことを思い出してください。朝鮮語のnal(日)が「水」から来ていたことを思い出してください。水を意味していた語が水域の浅いところを意味するようになり、水域の浅いところを意味していた語が明るさ・明かりを意味するようになるパターンです。太陽を意味していた*namiは、タイ系言語のタイ語naam(水)のような語から来たと考えられます。古代中国語のnom(南)と日本語のminami(南)からわかるように、タイ系言語の語彙が古代中国語にも日本語にも伝わっていたのです。すでにnomu(飲む)やnami(波)などの語を取り上げましたが、その仲間というわけです。

kita(北)の語源

冒頭で述べたように、南・東・西と違って、北には見せ所・見せ場がありません。kita(北)の語源も消極的なものではないかと予想されます。

例えば、中国語の「北」という漢字は、甲骨文字の時代には以下のように書かれていました。

人と人が背を合わせているところです。古代中国語のpok(北)は、かつて背を意味していたと考えられるのです。なぜ背を意味していた語が北を意味するようになるのでしょうか。それは、人々が太陽が照っている南を向いていて、背のほうに北があるからです。

日本語のkita(北)の語源もこれに似ているようです。まずは、おなじみの図を示しましょう。

水・水域を意味することができなかった語がその横の部分を意味するようになる頻出パターンです。moroは、なにかが二つあって、その両方を指す語になりました。kataは、なにかが二つあって、その一方を指す語になりました。

前回の記事で、奈良時代にkatanasi(かたなし)とkitanasi(汚し)という似た意味を持つ語があったこと(一般に水を意味していた語が濁った水を意味するようになるパターン)、「堅」がkataと読まれたりkitaと読まれたりしていたこと(水を意味していた語が氷を意味するようになるパターン)をお話ししました。日本語のそばに、水のことをkataのように言う言語と水のことをkitaのように言う言語があったわけです。

一番目と二番目の構図だけでなく、三番目の構図もあったと思われます。奈良時代の日本語に、境・分かれ目・区切りを意味するkida(分)という語がありましたが、この語も、kitaのような語が水から陸に上がろうとしていたことを裏づけています。moroは両方を指す語になりました。kataは一方を指す語になりました。kitaはどうなったのでしょうか。

両方の岸を指すこともあったでしょう。一方の岸を指すこともあったでしょう。そして、他方(もう一方)の岸を指すこともあったでしょう。kitaは「他方(もう一方)」を指す語になったのではないでしょうか。

なぜ筆者がこのように考えるかというと、このようなケースをしばしば見かけるからです。

tuma(妻)とは何者か

現代では、tuma(妻)は女性配偶者を意味していますが、奈良時代には、男女を問わず配偶者を意味していました。tuma(妻)といえば、まずこの意味が思い浮かびますが、実は建築の世界にも、伝統的なtuma(妻)という語があります(図はWikipediaより引用)。

これはよく見る家の形です。日本の建築では、図中の「平側」を正面とし、「妻側」を側面とすることが一般的でした。つまり、tuma(妻)は家の側面です。ここで、あの図が再びよみがえってきます。

水・水域を意味していたtumaのような語がその横を意味するようになったのではないかというわけです。

前に東京都と神奈川県の境界になっているtamagawa(多摩川)の話をしたことがありましたが、水・水域を意味するtamaのような語とそれに似た語が広がっていたのでしょう。

水・水域を意味することができなくなったtumaのような語がその横を意味するようになり、ここから建築のtuma(妻)が来ていると考えられます。水・水域を意味することができなくなったtumaのような語がその横の盛り上がった土地、丘、山を意味することもあったと思われます。最終的には、盛り上がった土地、丘、山も意味することができず、先(特に手と足の先)を意味するようになっていったと思われます(「盛り上がった土地、丘、山」→「先」という意味変化については、青と緑の区別、なぜ「青信号」や「青野菜」と言うのかの記事を参照)。ここから来ているのが、*tuma(爪)、tumu(摘む)、tumamu(つまむ)でしょう(手・足の先を意味した*tuma(爪)とitasi(痛し)がくっついてtumetasi(冷たし)ができたという説も正しいでしょう)。ひょっとしたら、tumu(積む)/tumoru(積もる)も、盛り上がった土地、丘、山から来ているかもしれません。

上のtumaと記した構図があったことは間違いなさそうです。ここから、ペアを構成する一方を意味するようになっていったのが、奈良時代の配偶者を意味したtuma(妻)でしょう。

上の図のtumaのところをtomoに書き換えても、しっくりこないでしょうか。tomo(友)とtomo(共)も同じところから来ていると見られます。

tumu(積む)/tumoru(積もる)より抽象的ですが、蓄積と関係が深く、tomu(富む)/tomi(富)も、盛り上がった土地、丘、山から来ているかもしれません。

※本ブログで示しているように、水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群があり、ここから日本語に大量の語彙が入っていますが、tam-、tim-、tum-、tem-、tom-のような形は、[tʃ]、[ʃ]、[ts]などを介して、sam-、sim-、sum-、sem-、som-のような形と通じていると思われます。

再びkita(北)の語源へ

水・水域を意味していたtumaのような語はその横を意味するようになり、やがて奈良時代の配偶者を意味するtuma(妻)に至りました。結局どうなったのかというと、なにかが二つあって、その一方を基準とした場合の他方(もう一方)を意味するようになったのです。kita(北)の場合も同じと考えられます。水・水域を意味していたkitaのような語はその横を意味するようになり、やがて奈良時代の南の反対を意味するkita(北)に至りました。結局どうなったのかというと、なにかが二つあって、その一方を基準とした場合の他方(もう一方)を意味するようになったのです。このtuma(妻)やkita(北)の例を見ていると、水を意味していた語からやがて「反対」のような意味が生まれてくるのがわかるでしょうか。

 

補説

kida(分)はどこに行ったのか

奈良時代に境、分かれ目、区切りを意味するkida(分)という語があったと述べましたが、この語はどこに行ったのでしょうか。

昔は階段のことをkidaɸasi/kizaɸasi(階)と言っていました。以下は典型的なkidaɸasi/kizaɸasi(階)です(写真は朝日新聞様のウェブサイトより引用)。

kidaɸasi/kizaɸasi(階)という名前を見ればわかりますが、橋の一種と考えられていました。写真のように、一段目があって、二段目があって、三段目があって・・・という橋をkidaɸasi/kizaɸasi(階)と呼んでいたのです。境、分かれ目、区切りを意味するkida(分)とɸasi(橋)がくっついたのがkidaɸasi/kizaɸasi(階)です。kidaɸasiと発音されたりkizaɸasiと発音されたりしていたことからわかるように、kidaとkizaの間で発音がブレることがありました。kida(分)あるいはその異形が、細かく切ることを意味するkizamu(刻む)や細かいかくかくした形状を表すgizagiza(ぎざぎざ)になったようです。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

刀(かたな)と剣(つるぎ)

日本語には、古代中国語から入ったken(剣)という語がありますが、それより前からkatana(刀)とturuki/turugi(剣)という語がありました。

刀と剣は日用品でないので、まずはなじみのある包丁を思い浮かべてください。台所で食材を切る時に使う普通の包丁です。なぜ包丁で食材が切れるかというと、端の部分が鋭くなっているからです。鋭くなっている側の反対側で切ろうとしても、切れないでしょう。

ここで気になるのが、ɸa(端)とɸa(刃)です。青と緑の区別、なぜ「青信号」や「青野菜」と言うのかの記事で、「水・水域」→「盛り上がった土地、丘、山」→「先」→「先のとがった道具」という意味変化のパターンを指摘しました。例として、ɸari(針)、yari(槍)、mori(銛)、ɸoko(矛)、kusi(串)などを挙げました。先を意味していた語が、先のとがった道具を意味するようになることがよくあったわけです。「先」→「先のとがった道具」という意味変化がよくあったのなら、「端」→「刃・刃物」という意味変化もよくあったのではないでしょうか。先ほどのɸa(端)とɸa(刃)はいかにもという感じです(切るという機能を考えると、ɸa(歯)も関係がありそうです)。

日本語のɸa(刃)が「端」から来たのなら、朝鮮語のnal(刃)はどうでしょうか。朝鮮語のnal(刃)も、「端」から来ており、おおもとには「水」があるようです。日本語のnama(生)に相当する語として、朝鮮語のnal(生)という語があります。日本語のnama(生)が「水」から来ていたように、朝鮮語のnal(生)も「水」から来ていると考えられます(nama(生)というのは、焼いたり、干したりしておらず、水っぽいという意味です)。

古代北ユーラシアに水を意味するjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jar-、jir-、jur-、jer-、jor-、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-)のような語があり、これがnjark-、njirk-、njurk-、njerk-、njork-(njar-、njir-、njur-、njer-、njor-、njak-、njik-、njuk-、njek-、njok-)、さらにnark-、nirk-、nurk-、nerk-、nork-(nar-、nir-、nur-、ner-、nor-、nak-、nik-、nuk-、nek-、nok-)に変化していたことはお話ししました。

この中のnark-(nar-、nak-)のような形から、朝鮮語のnal(刃)とnal(生)が生まれたと見られます。朝鮮語のnalgɛ(羽、翼)ナルゲとnalda(飛ぶ)(語幹nal-)も、間違いなく同源でしょう。水・水域を意味していた語が横を意味するようになり、横を意味していた語が人間の手・腕・肩を意味するようになることは多いですが、横を意味していた語が鳥の羽・翼を意味するようになることも多いからです。

日本語のɸa(刃)は「水」から来ている、朝鮮語のnal(刃)も「水」から来ているとなると、冒頭のkatana(刀)とturuki/turugi(剣)の語源が気になります。

katana(刀)とturuki/turugi(剣)は類義語ですが、基本的に、katana(刀)は包丁のように片側だけが鋭くなっており、turuki/turugi(剣)は両側が鋭くなっていました。

このことから、katana(刀)は片側を意味するkataと刃を意味するnaがくっついた語であるという説明が広く行われてきました(上代語辞典編修委員会1967、大野1990)。しかし、それなら、katate(片手)とmorote(諸手)のように、katanaとmoronaという言い方があってもよさそうですが、後者は見つかりません。刃を意味するとされるnaが単独で現れている例もありません。katana(刀)の語源が本当に従来の説明の通りなのか、もう一度よく考えなければなりません。

注目したいのが、kitanasi(汚し)という語です。yogoru(汚る)/yogosu(汚す)の語源を思い出してください。yogoru(汚る)/yogosu(汚す)のyogoは、古代北ユーラシアで水を意味したjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jar-、jir-、jur-、jer-、jor-、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-)のような語から来ていて、一般に水を意味していた語が濁った水を意味するようになったものでした。yogoru(汚る)/yogosu(汚す)のyogoが濁った水を意味していたのなら、kitanasi(汚し)のkitanaも濁った水を意味していたかもしれません。実際に、kitanasiに「濁」という漢字があてられることもありました。

実は、奈良時代には、kitanasi(汚し)のほかに、似た意味を持つkatanasi(かたなし)という語がありました。katanasi(かたなし)には、穢、陋、醜などの漢字があてられており、これらの漢字からして、汚さ、みすぼらしさ、見苦しさなどを意味していたと考えられます。「堅」をkataと読んだり、kitaと読んだりすることもあったので、katanasi(かたなし)とkitanasi(汚し)は無関係な存在ではなさそうです。

新潟の「潟(かた)」に隠された歴史の記事で、日本語のそばに水のことをkataのように言う言語があったことを示しました。kataのほかにも、様々な形があったにちがいありません。氷から来ていると見られるkatikati(かちかち)、kotikoti(こちこち)や、湯から来ていると見られるgutugutu(ぐつぐつ)、kotokoto(ことこと)なども仲間でしょう。水のことをkat-、kit-、kut-、ket-、kot-のように言う言語群があったと推測されます。

奈良時代のkatanasi(かたなし)とkitanasi(汚し)という語を見ると、kataだけでなくkatan(あるいはkatana)という形もあったのではないか、kitaだけでなくkitan(あるいはkitana)という形もあったのではないかと考えたくなります(アイヌ語のkotan(村)も気になるところです。「水」→「氷」→「固まり、集まり」という意味変化のパターンがあるからです。日本語のmura(村)がこのパターンで、水を意味したmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のような語から来ており、mure(群れ)も同源です。koɸori(氷)とkoɸori(郡)という語もありました。水を意味するkotanのような語、氷を意味するkotanのような語があった可能性が高いです)。もし上に述べた通りなら、水・水域を意味していたkatan(あるいはkatana)が端を意味するようになり、端を意味していたkatan(あるいはkatana)が刃・刃物を意味するようになったのでしょう。

筆者がこのパターンを疑うのは、ɸa(刃)がこのパターンで、katana(刀)の類義語のturuki/turugi(剣)もこのパターンであると考えられるからです。

古代北ユーラシアで水を意味したjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jar-、jir-、jur-、jer-、jor-、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-)のような語から、tʃark-、tʃirk-、tʃurk-、tʃerk-、tʃork-(tʃar-、tʃir-、tʃur-、tʃer-、tʃor-、tʃak-、tʃik-、tʃuk-、tʃek-、tʃok-)のような語、さらにtark-、tirk-、turk-、terk-、tork-(tar-、tir-、tur-、ter-、tor-、tak-、tik-、tuk-、tek-、tok-)のような語が生じ、ここから来たと考えられるのが、turuki/turugi(剣)です。横を意味していたtura(面)や盛り上がった土地を意味していたtuka(塚)と同源です(tura(面)は「水・水域」→「横」→「頬」→「顔」と変化してきた語です。奈良時代の時点では「頬」を意味していました)。jark-以下の形だけでなく、tʃark-以下の形も、tark-以下の形も、大変古くから北ユーラシアに存在しています。

※日本語のtuki(月)と朝鮮語のtal(月)は関係がないように見えますが、これらも究極的には同じところ(上記のtark-以下のところ)から来ていると考えられます。水を意味していた語が水域の浅いところを意味するようになり、水域の浅いところを意味していた語が明るさ・明かりを意味するようになるパターンです。日本語のɸi(日)は、水を意味するpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のような語から来ていましたが、朝鮮語のnal(日)は、水を意味するnark-、nirk-、nurk-、nerk-、nork-(nar-、nir-、nur-、ner-、nor-、nak-、nik-、nuk-、nek-、nok-)のような語から来ていると考えられます。

水のことをkat-、kit-、kut-、ket-、kot-のように言う言語群にまで話が及んだので、次回の記事ではkita(北)の語源を明らかにしましょう。併せてminami(南)の語源も明らかにします。

 

補説

かつての日本の都、奈良

水を意味するnark-(nar-、nak-)のような語が朝鮮語のnalgɛ(羽、翼)やnal(刃)になった話をしました。水・水域を意味していた語が横・端を意味するようになる頻出パターンです。日本語でも、以下のようなことが起きていたと思われます。

本ブログでおなじみの図です。naraという語があって、なにかが二つあることを意味しようとしたと見られます。ここからできたのが、narabu(並ぶ)でしょう。narabuには、「並」という漢字があてられたり、「双」という漢字があてられたりしました。

naraが水・水域の横の平らな土地を意味することもあって、それがnarasu(均す)という形で残ったのでしょう。

nara(奈良)という地名も関係がありそうです。かつての日本の都(飛鳥京、藤原京、平城京)は奈良盆地にありました。特に平らな土地を意味するnaraが、地名になったと見られます。

慣れること・慣らすことを意味したnaru/narasuも関係があるかもしれません。現代だと「慣」という漢字を使いたいところですが、奈良時代には「狎」または「馴」という漢字を使っていました。naru/narasuは、もともと動物関連の語彙で、いうことをきかなかった動物がいうことをきくようになること、いうことをきかなかった動物をいうことをきくようにすることを意味していたと考えられます。taɸira(平ら)から作られたtaɸiragu(平らぐ)がおさまること・しずまることあるいはおさめること・しずめることを意味していましたが、naru/narasuの歴史もこのようなものかもしれません。

naraɸu(習ふ)も、当初は慣れることを意味していたと思われます。奈良時代の時点では、まだこの意味が残っていました。だれかにあるいはなにかに親しんだり、従ったりすることを意味しているうちに、学習のような意味が生まれたのでしょう。

 

参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

古代人の苦い経験

「よい」と「悪い」について考える、善悪の起源はどこにあるのかの記事で示した図(北海道のウェブサイトより引用)をもう一度示します。

古代の人々が、自分たちの使用に適する澄んだ水と自分たちの使用に適さない濁った水を区別し、前者の水に発せられる言葉と後者の水に発せられる言葉ができたことをお話ししました。

写真の右の水に「きれい」のような語が発せられ、左の水に「汚い」のような語が発せられたことは理解できるでしょう。しかし、水は観賞物ではありません。人類はこれを飲んできたのです。

右の水と左の水は外見が違いますが、違うのは外見だけでしょうか。右の水と左の水を飲んだら、どんな味がするでしょうか。古代人は、現代人と違って、常に右のような水が供給されるとは限らない世界に住んでいました。喉が渇いた、目の前に水がある、しかし濁っている、なんとか飲めるか、そんな状況もあったかもしれません。日本語のnigo(濁)とniga(苦)はなんとも示唆的です。実際に濁った水を飲んで、niga(苦)と言っていたのでしょうか。その可能性は高いです。niga(苦)に似た語として、sibu(渋)がありますが、この語も怪しいです。前回の記事で挙げたsima(島)、siba(芝)、siba(数)、siɸo(潮、塩)(推定古形*sipo)などからして、日本語のそばに水のことをsim-、sib-、sip-のように言う言語群があったことは確実であり、sibu(渋)もここから来ていると見られます(古代中国語のsrip(澀)シプもなんらかの関係がありそうです。古代中国語の「澀」は日本語では「渋」と書かれています)。やはり、飲用に適さない水を飲んで、niga(苦)と言ったり、sibu(渋)と言ったりしていたと思われます。

まずい水を飲んだ時に出てくる言葉がniga(苦)とsibu(渋)なら、おいしい水を飲んだ時に出てくる言葉はなんだったのでしょうか。

話がちょっと複雑になりますが、奈良時代にはyosi(よし)とumasi(うまし)という語がありました。この頃のumasi(うまし)は、yosi(よし)と同じように、広く肯定的評価を表すことのできる語でした。「よい」と「悪い」について考える、善悪の起源はどこにあるのかの記事でyosi(よし)が「水」から来たことを説明しましたが、umasi(うまし)も「水」から来たと見られ、umi(海)やumu(膿む)と同源と考えられます(もっと大きな枠組みで言えば、水のことをam-、ab-、ap-、um-、ub-、up-、om-、ob-、op-のように言う言語群から来たと考えられます)。

umasi(うまし)は味に関する肯定的評価を表すことが多くなっていきます(amasi(甘し)は、umasi(うまし)より後に現れ、umasi(うまし)の異形と見られます。amasi(甘し)も、umasi(うまし)と同様に、「おいしい」という意味で用いられることがありました)。ここで重要なのは、yosi(よし)が広く肯定的評価を表す語であり続けたのに対し、umasi(うまし)は特に味に関する肯定的評価を表す語になっていったということです(現代のumai(うまい)では、味がよいという意味と、上手である・巧みであるという意味が主な意味になっています)。yosi(よし)のような万能語がいくつも並存するとは考えにくいので、umasi(うまし)のように広く肯定的評価を表した語がある限定された肯定的評価を表すようになっていくことは多かったと思われます。

いよいよmasa(正)の話へ

TとSの間の発音変化、日本語の隠れた仲間たちの記事で棚上げしたmasa(正)の話を続けましょう。

日本語は、水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言う言語群に属していたと考えられますが、[t]が[tʃ]、[ʃ]、[ts]などを介して[s]になることがあり、mas-、mis-、mus-、mes-、mos-のような形もあったことを示しました。水を意味するmas-のような語から来たことがわかりやすいmasu(升、枡)、masu(増す、益す)、mazu(混ず)などに加えて、水を意味するmas-のような語から来たことがわかりにくいmazamaza(まざまざ)という語も挙げました。

はっきりしていること、鮮明なこと、明瞭なことを意味するmazamaza(まざまざ)は、澄んだ水から来たと考えられるものです。つまり、冒頭の写真の右のような水を見てmazamaza(まざまざ)と言っていたということです。そのことを裏づけるのが、奈良時代のmasa(正)です。masaは、「正」と書かれることがほとんどでしたが、「雅」と書かれることもありました。この点は注目に値します。古代中国語のtsyeng(正)チエンは、正しいことを意味した語で、古代中国語のngæ(雅)ンガは、美しいこと、優美であること、みやびであることを意味した語です。こうなると、奈良時代のmasaはもともと、正しいという限定された意味ではなく、もっと広い意味を持っていたのではないかと考えたくなります。

yosi(よし)のような万能語があれば、それで大抵の場合は済んでしまうので、その他の語は意味・用法が特殊化していくことが予想されます。上に記したumasi(うまし)は、その一例です。masasi(正し)も、そうだったのかもしれません。masaはもともと冒頭の写真の右のような水に対して発せられ、そこから広く肯定的評価を表す語になっていたが、yosi(よし)に圧迫され、意味・用法がせばまり、奈良時代のmasa(正、雅)になったと考えると、mazamaza(まざまざ)ともども、しっくりきます。

水を意味するmiduが時にmiという形になっていたことを考えると、masaが時にmaという形になることもあったかもしれません。masa(正)とma(真)は同源である可能性があります。「マジかよ」のmazi(マジ)も怪しいです。誤りではない、偽りではないという意味が通っています。

 

補説

yosi(よし)とisi(いし)

話がさらに複雑になりますが、yosi(よし)のほかに、isi(いし)という語もありました。isi(いし)は、意味が全体的にyosi(よし)に似ており、yosi(よし)の異形である可能性が高いです。現代の日本語で、yoi(よい)がii(いい)になっていることを考えても、無理がありません。ただし、yosi(よし)はク活用で、isi(いし)はシク活用でした。

ク活用では、終止形の「し」が別の音になり、シク活用では、終止形の「し」の後に別の音が続きます。どちらも、よく見られた活用です。umasi(うまし)などは、ク活用もシク活用も見せました。yosi(よし)はク活用で、isi(いし)はシク活用でしたが、意味が全面的に似ていること、そしてCVsi/Vsiという形の形容詞がごくわずかしかなかったことを考えると、やはりisi(いし)はyosi(よし)の異形である可能性が高いです。

isi(いし)は、丁寧さを示すo(お)を付けられ、現代のoisii(おいしい)になりました(シク活用の形容詞は、uresi(うれし)→uresii(うれしい)、kanasi(悲し)→kanasii(悲しい)のように変化しました)。