人間の目にまつわる謎

前の二つの記事で、水のことをkum-のように言う人々が朝鮮半島と日本列島にまたがっていたことをお話しし、この人々がいつ頃から朝鮮半島と日本列島にいたのかという問題を提起しました。

この問題は非常に奥が深く、日本語と朝鮮語を見ているだけでは解決できません。東アジア、特に古代東アジアと密接に関係しているウラル語族の語彙を調べる必要があります。しばらくウラル語族にウェイトを移します。

「目(め)」の語源の記事では、ウラル語族の全言語にフィンランド語のsilmä(目)スィルマのような語が見られることをお話ししました。しかし、ウラル語族の外に目を向けると、フィンランド語のsilmä(目)のような語はどこにも見当たりません。フィンランド語のsilmä(目)などの語源は、筆者にとって長い間謎でした。

それでも、様々な言語の語源を研究するなかで、少しずつ手がかりがつかめてきました。例えば、「耳(みみ)」の語源、なぜパンの耳と言うのか?の記事で日本語のmimi(耳)の語源を明らかにしましたが、日本語のmimi(耳)はもともと身体部位(聴覚器官)を意味する語ではありませんでした。そのような例をいくつも見るうちに、ウラル語族のフィンランド語silmä(目)なども、もともと身体部位(視覚器官)を意味する語ではなかったのではないかと考えるようになりました。そう考えると、ウラル語族の「目」とウラル語族以外の「目」が全然一致しないことにうまく説明がつきます。ただし当然、ウラル語族のフィンランド語silmä(目)などはもともとなにを意味していたのかという問題が残ります。

フィンランド語には、silmä(目)と全く意味が違いますが、kylmä(冷たい、寒い)キルマという語があります。kylmä(冷たい、寒い)のほかに、kulma(隅、角、角度)という語もあります(フィンランド語のyは、口を小さく丸めてウの形を作り、その状態でイと発音します。フィンランド語のäは、アとエの中間のような音です。発音記号では、それぞれ[y]と[æ]です)。

筆者はフィンランド語のsilmä(目)などの語源を明らかにするのに大変苦労しましたが、解決のきっかけを与えてくれたのが上記のkylmä(冷たい、寒い)やkulma(隅、角、角度)でした。フィンランド語のkylmä(冷たい、寒い)とkulma(隅、角、角度)は形がよく似ています。背後に「水」の存在が感じられるところも共通しています。kylmä(冷たい、寒い)は、水・水域を意味していた語が氷を意味するようになるパターンを思い起こさせ、kulma(隅、角、角度)は、水・水域を意味していた語が端を意味するようになるパターンを思い起こさせます。

古代北ユーラシアに水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-のように言う言語群があった可能性があります。

前にユーラシア大陸の河川に隠された人類の壮大な歴史の記事で、北極地方のヤナ川などを取り上げました。ヤナ川から西には、レナ川、エニセイ川、オビ川が並んでいますが、ヤナ川から東には、インディギルカ川(Indigirka River)、コリマ川(Kolyma River)、アナディリ川(Anadyr’ River)が並んでいます。

コリマ川(Kolyma River)という名称も、水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-のように言う言語群が存在した可能性を示唆しています。そうであれば、連続する子音の一方が落ちたkal-、kil-、kul-、kel-、kol-およびkam-、kim-、kum-、kem-、kom-という形もあったでしょう。

空に浮かぶkumo(雲)と虫のkumo(クモ)の話を思い出してください。

空に浮かぶkumo(雲)は、朝鮮語ではkurɯm(雲)クルムです。水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のように言う言語群があって、そこから日本語にkumo(雲)、朝鮮語にkurɯm(雲)が入ったように見えます。「水」→「水蒸気、湯気、霧、雲」のパターンです。

※朝鮮語のkurɯm(雲)だけでなく、korɯm(膿)コルムも「水」から来ていると思われます。水を意味していた語が水以外の液体(血、汗、涙、唾液、尿など)を意味するようになるのはよくあるパターンで、膿もここに含まれます。朝鮮語にはkim(水蒸気、湯気)とangɛ(霧)アンゲという語もありますが、前者はここでの話に関係があるでしょう。

虫のkumo(クモ)は、朝鮮語ではkɔmi(クモ)コミです。水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のように言う言語群があって、そこから日本語にkumo(クモ)、朝鮮語にkɔmi(クモ)が入ったように見えます。「水」→「境」→「線・糸」→「クモ」のパターンです。

このように、水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のように言う言語群からウラル語族、日本語、朝鮮語に次々と語彙が入ったようです。

ここでは便宜上「水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のように言う言語群」と書いていますが、実際にはlのところがrになったり、mのところがbになったり、pになったり、wになったり、vになったりするので、バリエーションはもっと豊富です。

lとrの間は変化しやすいし、m、b、p、w、vの間も変化しやすいので、一万年を超えるような長い歴史があれば、上のようなバリエーションは容易にできてしまいます。二万年、三万年、四万年というような長い歴史があれば、上のようなバリエーションではとても済みません。

水のことをkum-のように言う言語群が朝鮮半島と日本列島にまたがって分布していたと述べましたが、この言語群の内部のバリエーションはかなり豊富で、上の表のようなバリエーション、いやそれどころか、上の表以上のバリエーションを考えなければならないようです。

上の表のようなバリエーションから日本語に入った語彙を詳しく示したいところですが、それらは非常に多いので後まわしにします(いくつかの例は前々回と前回の記事に示しました)。とりあえず、上の表のようなバリエーションもさらに大きなバリエーションの一部にすぎないようなので、一体どのくらいのバリエーションが存在するのか見極める作業を優先させます。

筆者はすでに、水を意味するkilm-のような語が変化して、ウラル語族のフィンランド語silmä(目)などが生まれたという結論に達しており、まずはその話をします。ウラル祖語よりも前の時代にそのような変化が起きていたということです。kiがtʃi/ʃiになり、tʃi/ʃiがti/siになる発音変化自体はよく起きる変化ですが(本ブログではキチ変化と呼んでいます)、ポイントはなんといっても、「水」を意味していた語が「目」を意味するようになることです。この現象は、人類の言語に普遍的に認められます。英語のeye(目)、古代中国語のmjuwk(目)ミウク、朝鮮語のnun(目)、ベトナム語のmắt(目)マ(トゥ)などの語源も「水」のようです。なぜ「水」を意味していた語が「目」を意味するようになるのでしょうか。古代人が考えていたことを追ってみましょう。

※ご存じのように、朝鮮の人々の苗字は多くありません。よく聞くのは、金(キム)、李(イまたはリ)、朴(パク)などです。最も多いのは、金(キム)です。金銀銅の金は、日本語ではkin(金)ですが、朝鮮語ではkɯm(金)クムです。現代の朝鮮語では、「金」を一般にkɯmと読み、苗字の場合に限ってkimと読むという変則的な形になっています。もともとは、kɯmという読みで統一されていたと見られます。朝鮮半島の有力集団が「kɯm」と呼ばれ、「金」と記されていたということです。この「金」は、錦江の「錦」と同様に、当て字の可能性が高いです。しかし、朝鮮半島に「kɯm」と呼ばれる有力集団がいたことは確からしいのです。朝鮮の人々の苗字にも注目しなければならない展開になってきました。

 

補説

フィンランド語のkorva(耳)と朝鮮語のkwi(耳)

日本語のmimi(耳)は、水・水域を意味していた語が端・横を意味するようになり、端・横を意味していた語が耳を意味するようになったものでした。

フィンランド語のkorva(耳)と朝鮮語のkwi(耳)クウィも、同じパターンと見られます。フィンランド語のkorva(耳)は上の表中のkorv-のような形、朝鮮語のkwi(耳)は上の表中のkuw-のような形がもとになっていると考えられます。フィンランド語のkorva(耳)も朝鮮語のkwi(耳)も「水」から来ているということです。

日本語とフィンランド語と朝鮮語で同じパターンが見られるわけですから、かなり一般的なパターンと言ってよいでしょう。