「腹(はら)」の語源

ウラル語族の各言語で「腹」を意味する語は完全にばらばらです。そして、「腹」と「腸」と「中」の間で意味が変わりやすい傾向にあります。日本語でも腹のことを「おなか」と言ったりするので、この辺は理解しやすいと思います。

フィンランド語には、vatsa(腹)ヴァッツァという語があります(もう一つmaha(腹)という語がありますが、これはインド・ヨーロッパ語族の言語からの外来語です)。フィンランド語のvatsa(腹)は、サモエード系のガナサン語bjetuʔ(腸)ビェトゥッ、カマス語bjedɯ(腸)ビェドゥ、マトル語bjedu(腸)ビェドゥなどと同源で、日本語のwata(腸)に対応しています。harawataのwataです。琉球方言のwata、bata、badaなどは「腹」を意味しています。中に詰められた様を思えば、wata(綿)もwata(腸)と同源でしょう。

日本語のhara(腹)はどうでしょうか。ハンガリー語のbél(腸)ベールやbelső(中の、内の)ベルショーに組み込まれているbel-(中、内)はひょっとしたら関係があるかもしれませんが、ハンガリー語とフィンランド語の間でも「腹、腸、中」を意味する語は全く一致していないので、その可能性は微妙です。

ちなみに、英語のbelly(腹)はもともとバッグや袋を意味していた語です。腹は膨らむものという認識が窺えます。確かに、腹と膨らみには密接な関係があります。日本語のhara(腹)もharu(張る)やhareru(腫れる)と関係がありそうです。

この発想でいくと、古代中国語のpjuwk(腹)ピュウクも気になります。日本語にhukureru(膨れる)(古形ɸukuru)、hukuro(袋)(古形ɸukuro)、hukkura(ふっくら)(古形ɸukura)、hugu(フグ)(古形ɸuku)のような語が見られるからです。

また、hara(腹)から作られたharamu(はらむ)という語があります。この語は、基本的に人間の女性または動物の雌が妊娠することを意味しますが、「危険をはらむ」などと言ったりもします。こういう使い方を見ると、日本語のhara(腹)からharamu(はらむ)が作られたように、古代中国語のpjuwk(腹)からhukumu(含む)が作られたのではないかと考えたくなります。

古代中国語のpjuwk(腹)は日本語の語彙に関係がありそうですが、実は英語のbelly(腹)もひょっとしたら日本語の語彙に関係があるかもしれません。英語のbelly(腹)は、ball(ボール)やballoon(風船・バルーン・気球)などと同源で、インド・ヨーロッパ語族の根深いところから来ています。

余談ですが、英語のbelly(腹)、ball(ボール)、balloon(風船・バルーン・気球)などと同源の語として、ラテン語にfollisという語がありました。ラテン語のfollisは膨らんだ様々なものを意味する語でしたが、そのうちに「中身がない」という意味、さらに「ばかな、ばかげた」という意味が生じました。このラテン語のfollisが、古フランス語でfolになり、英語でfoolになりました。

日本語のhara(腹)の語源は、haru(張る)やhareru(腫れる)といっしょに考えなければならず、身体部位の話からどんどん遠ざかってしまうので、別のところで論じることにしましょう。

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「腰(こし)」の語源

日本語のkosi(腰)の語源について考えましょう。kosi(腰)の語源を考えるにあたって重要なのは、腰は体の真ん中であるということです。私たちは上半身、下半身という言い方をしますが、どこで二分しているかというと、腰のところで分けています。真ん中と腰は深い関係にあるのです。

英語に真ん中を意味するmid-という接頭辞とmiddleという語があるのは、皆さんもご存じでしょう。英語のwaist(腰)は違いますが、スウェーデン語のmidja(腰)ミーズヤやアイスランド語のmiðja(腰)ミズヤは、上のmid-とmiddleと同源です。

インド・ヨーロッパ語族だけでなく、ウラル語族にも同じような例が見られます。

フィンランド語には、keski-という接頭辞とkeskeinenという語があります。真ん中を意味します。フィンランド語のvyötärö(腰)ヴィオタロは違いますが、コミ語のkos(腰)やウドムルト語のkus(腰)は、上のkeski-とkeskeinenと同源です。

ウラル語族では、kVsk-、kVs-(Vはなんらかの母音)という語根から「真ん中、中心、中央、中間、間」を意味する語が数多く作られています。フィンランド語のkesken(~の間で)やハンガリー語のközött(~の間で)コゾットもここに含まれます。そのような中に、コミ語のkos(腰)やウドムルト語のkus(腰)もあるわけです。

日本語のkosi(腰)は、明らかに関係がありそうです。マイナーな語ですが、車輪の中心部を意味するkosiki(轂)も見逃せません。

日本語では、koskiのように子音が続くことができないので、母音iが挿入されてkosikiになっているのでしょう。

日本語のkosi(腰)とkosiki(轂)も、ウラル語族の語彙と同じように、kVsk-/kVs-という語根から来ていると考えられます。重要なのは、このkVsk-/kVs-という語根が「真ん中、中心、中央、中間、間」を意味する語根であるということです。日本語のkosi(腰)も、身体部位を表す語ではなく、一般に真ん中を意味する語であったと見られます。

例えば、麺類などを食べて「コシがある」とか「コシがない」とか言いますが、このkosi(コシ)も、もともと中心部を意味していて、それが噛みごたえや弾力を意味するようになったと考えられます。

意外な例として、mikosi(御輿)も挙げられそうです。kosi(輿)という語に尊敬・畏敬を示す接頭辞のmi(御)が付いたのが、mikosi(御輿)です。kosi(輿)は、人や物を乗せて運ぶためのものでした。見慣れていると思いますが、典型的には以下のような形をしています(上から見たところです)

kosi(輿)という名称は、だれか・なにかを乗せる中心の部分を意味し、そこからこの搬送手段自体を意味するようになったと思われます。mikosi(御輿)は、現代では豪華なイメージがあるかもしれませんが、もともとは素朴な搬送手段でした。現代の豪華なmikosi(御輿)は、神道において、普段神社にいて祭の際に外に出る神霊を運ぶとされているものです。

日本語のkosi(腰)は、一般に真ん中を意味していた語が体の真ん中を意味するようになったと考えられますが、フィンランド語のvyötärö(腰)は、違います。vyö(ベルト)ヴィオという語があって、これからvyöttää(ベルトを巻く)ヴィオッターやvyötärö(腰)が作られました。フィンランド語のvyö(ベルト)の語源は、別の機会に論じることにします。

不思議な言語群

朝鮮語では、「目」のことをnun、「水」のことをmulと言います。そして、これらの語を組み合わせてnunmul(涙)という語を作っています。これはわかりやすいです。

それにひきかえ、日本語のnamida(涙)は怪しい語です。一音節でもなく、二音節でもなく、三音節です。複合語かなと思わせつつ、「まなこ」や「まつげ」のように「ま」は入っていないし、「めがしら」や「めじり」のように「め」も入っていません。目に関する語彙の中で、明らかに浮いています。率直に言って、外来語ではないかと疑いたくなる語なのです。

東アジア・東南アジアの言語で「涙」のことをなんと言っているか調べてみましょう。

やはり出てきました。タイ語(およびラオス語)の naam taa です。タイ語では、「水」のことをnaam、「目」のことをtaaと言います。そして、これらを組み合わせたのが naam taa (涙)です(タイ語では日本語と違って後ろから修飾します)。このような語が日本語に入ったのです。奈良時代の日本語には、namita、namida、namuta、namudaという形が混在していました(上代語辞典編修委員会1967)。昔の日本語の話者が子音の連続を避けるためにiまたはuという母音を挿入していたのがわかります。

タイ語のnaam(水)は、ツングース諸語のエヴェンキ語lāmu(海)、ウデヘ語namu(海)、ナナイ語namo(海)、ウイルタ語namu(海)、満州語namu(海)、そして日本語のnami(波)にも通じていると考えられます。タイ系の言語で「水」を意味していた語が、ツングース系の言語に「海」という意味で、日本語に「波」という意味で取り入れられたのです。日本語のnama(生)も、「(焼いたり、干したりしておらず)水っぽい、水分を含んでいる」というのが原義であったと思われます。

日本語の中には、タイ系の語彙も見受けられます。日本語のそばでタイ系の言語が話されていた時代があったのです。しかも、その時代はそんなに遠い昔ではないようです。

例えば、英語のtear(涙)は、同じゲルマン系のドイツ語Zähre(涙)ツェール(今ではもう廃れています)、さらにはイタリア語lacrima(涙)、ギリシャ語dákry(涙)ザクリなどと同源ですが、やはり長い年月が過ぎると、形がかなり異なっています。

それに対して、タイ語の naam taa (涙)と日本語のnamida(涙)(奈良時代にはnamitaという形も存在)は、意味がぴったり一致しているだけでなく、日本語が子音の連続を避けるために母音を挿入した点を除けば、形もぴったり一致しており、タイ系の言語から日本語に語が取り入れられたのがそんなに遠い昔でないことを物語っています。

タイ系の言語は、現在では中国南部からインドシナ半島へ逃げのびたように分布していますが、古代中国語が勢力を拡大する前にどのように分布していたかは定かでありません。ただ、ツングース系の言語や日本語に語彙を提供できる位置にタイ系の言語が存在したのは確かです。遼河文明の言語と黄河文明の言語と長江文明の言語の間で滅亡せずに存続してきたタイ系の言語がなんなのかということは、今のところ謎めいていますが、東アジアの歴史を考える際には意識の片隅に置いておかなければなりません。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。