「人(ひと)」の語源、その複雑なプロセスが明らかに(改訂版)

この記事は、前回の記事への補足です。

以前にɸito(人)の語源について書いたことがありましたが、その時から筆者の見解もいくぶん変わっているので、改訂版をここに記しておきます。

数詞の起源について考える、語られなかった大革命の記事、そして前回の記事では、水を意味していた*pitoのような語が、水を意味することができなくなり、その横の部分を意味するようになったことをお話ししました。

ここから、*pitoが、二つあるうちの一つ(一方)を意味するようになったり、二つあるうちのもう一つ(他方)を意味するようになったり、二つあるうちの二つ(両方)を意味するようになったりするわけです。

ただ、「一つ(一方)」を意味する語が*pitoで、「もう一つ(他方)」を意味する語が*pitoで、「二つ(両方)」を意味する語が*pitoでは、困ってしまいます。言語として成り立ちません。

「一つ(一方)」を意味しようとした*pitoは、そのままɸito(一)になったと考えられます。日本語の数詞の最初の語です。

「二つ(両方)」を意味しようとした*pitoは、同じものが二つ並んでいる時に使われる語になったと見られます。これがɸitosi(等し)です。

では、「もう一方(他方)」を意味しようとした*pitoは、どうなったのでしょうか。このケースは、上の二つのケースに比べて複雑です。

奈良時代の日本語には、ɸitokuniという言い方があり、「他国」と書かれていました。ここに出てくるɸitoは、「もう一方(他方)」を意味しようとした*pitoから来たものでしょう。このɸitoは、「別の、ほかの」という意味を持っているわけです。

*pitoが「一つ(一方)」を意味しようとする、*pitoが「もう一つ(他方)」を意味しようとする、*pitoが「二つ(両方)」を意味しようとする、ここで話が終わればまだわかりやすいのですが、話はここで終わりません。だから複雑なのです。

*pitoが川の左右の陸地を意味するようになった冒頭の図をもう一度見てください。冒頭の図の状況で、川の一方を指して*pitoと言い、川の他方を指して*pitoと言うようになります。このようなことをしていれば、*pitoが一般に方向を意味する語になることもありそうです。この*pitoと同じ道をたどったと見られるのが、kataです(水を意味するkataという語が存在したことについては、新潟の「潟(かた)」とは何か?を参照)。

この状況から、kataが、二つあるうちの一つ(一方)を意味するようになったのが、kata(片)です。川の一方を指してkataと言い、川の他方を指してkataと言っていた結果、どうなったでしょうか。方向を意味するkata(方)という語が生まれたのです。

方向を意味するkata(方)という語が生まれたのですが、ここで注目してほしいのは、日本語で方向を意味していたkata(方)が、konokata(この方)、anokata(あの方)のように人を指すのに使われているということです。

川の一方を指してkataと言い、川の他方を指してkataと言っているうちに、kataが一般に方向を意味するようになり、このkataが人を指すようになりました。同じように、川の一方を指して*pitoと言い、川の他方を指して*pitoと言っているうちに、*pitoが一般に方向を意味するようになり、この*pitoが人を指すようになった可能性が高いです。

方向を意味していて、人を指すのに使われるようになったkataも、方向を意味していて、人を指すのに使われるようになった*pitoも、基本的にある程度隔たりのある人間(つまり家族や友だちではない人間)に対して使われていたのではないかと思われます。

kataは、ある程度隔たりのある人間を指すというもとの働きを保っていると見られます。現代の日本語でも、家族や友だちを指してkonokata(この方)、anokata(あの方)とは言わないでしょう。

それに対して、*pitoは、ある程度隔たりのある人間を指すという制限が弱まって、一般に人間を意味するようになったと見られます。ただ、「他人」という意味をわずかに残しています。上で説明したように、*pitoが「もう一つ(他方)」を意味しようとし、「別の、ほかの」という意味を持っていたことも、影響していると思われます。現代の日本語のhitogotoやhitodumaのhitoの部分には「他人」という意味が残っていますが、そういう歴史的背景があるのです。

一般に人間を意味し、「他人」という意味をわずかに残しているhito(人)という語がなんなのか、理解できたでしょうか。

 

補説

朝鮮語のnam(他人、よその人)

日本語のhito(人)に対応する朝鮮語はsaram(人)です。saram(人)のほかに、namという語がありますが、これは他人やよその人を意味する語です。

朝鮮語のnam(他人、よその人)も、上で説明した日本語のkata(方)とhito(人)に似た歴史を持っていると見られます。以下のような状況があったということです。

朝鮮半島の主要河川の一つであるnam gang(南江)ナムガンも、このことを裏づけています。対になる「北江」はなく、nam gang(南江)という河川名は、かつてここにいた住民が水・水域のことをnamのように言っていたことを示唆しています(han gang(漢江)ハンガンやkɯm gang(錦江)クムガンのように、朝鮮半島の河川は「~江」と呼ばれます)。

タイ系言語のタイ語naam(水)のような語が浮上してきます。東アジアの農耕の起源、とても時間がかかる革命、二つの重要な概念の記事で、タイ系言語の語彙がモンゴル語とツングース諸語に入っていることを指摘し、山東省のあたりを中心に存在したタイ系言語がモンゴル方面と遼東半島に及んでいたのではないかと述べましたが、朝鮮半島にも及んでいたと見られます。タイ系言語が山東省のあたりを中心にモンゴル方面、遼東半島、朝鮮半島に及んでいたとなると、タイ系言語が縄文時代~弥生時代(特に縄文時代の途中から弥生時代のはじめ)に日本列島に入ってきていた可能性も出てきます。この問題については、別のところで詳しく論じることにしましょう。

※奈良時代の日本語で並ぶこと・並べることを意味したnamu(並む)も、上の図のような状況から生まれてきたと考えられる語です。namu(並む)という動詞は廃れましたが、ienami(家並み)やyamanami(山並み)のような表現の中に残っています。nami(並み)は、「並み」という形で、と並んでいること、と同じぐらいであることを意味するようになりました。また、「並み」という単独の形で、ほかと並んでいること、ほかと同じぐらいであること、つまり普通を意味するようにもなりました。

「瞳(ひとみ)」の奥に隠された歴史

シナ・チベット語族の「目」

現代の中国語では、目のことをyǎn jing(眼睛)イエンチンと言います。しかし、中国語でもともと目を意味していたのは、mjuwk(目)ミウクです。目を意味する語が変わった珍しいケースです。それでも、古代中国語のmjuwk(目)は、跡形もなく消え去ったわけではなく、現代の中国語のあちこちに残っています。シナ・チベット語族には、古代中国語のmjuwk(目)と同源の語が広がっており、チベット語のmig(目)やミャンマー語のmyeʔsi(目)ミエッスィなどがあります。

ベトナム系言語のベトナム語mắt(目)マ(トゥ)のような語が日本語にma(目)という形で入りましたが、シナ・チベット語族の古代中国語のmjuwk(目)、チベット語のmig(目)、ミャンマー語のmyeʔsi(目)のような語も日本語に*mi(目)という形で入ろうとしたと見られます。目を意味することができなくなった語が真っ先に意味するのは、見ることです。奈良時代の日本語のmiru(見る)、misu(見す)、miyu(見ゆ)は、シナ・チベット語族の「目」から来たと考えられます。現代の日本語では、misu(見す)はmiseru(見せる)になり、miyu(見ゆ)はmieru(見える)になっています。

上記の*mi(目)は、miru(見る)、miseru(見せる)、mieru(見える)だけでなく、hitomi(瞳)にも組み込まれて残ったのではないかと思われます。hitomi(瞳)の推定古形は*pitomi(瞳)です。瞳の意味を確認しておきましょう(図は参天製薬様のウェブサイトより引用)。

日本人の目は大体こんな感じでしょう。白い部分に囲まれた色の付いた部分が虹彩(こうさい)です。虹彩の真ん中にあいている穴が瞳孔(どうこう)です。周囲の明るさ・暗さに応じて、この穴の大きさがコントロールされます。虹彩と瞳孔の手前側は、角膜(かくまく)という透明な膜で覆われています。瞳は、瞳孔を意味したり、瞳孔を含む虹彩を意味したりします。hitomi(瞳)の推定古形の*pitomi(瞳)の*pitoの部分が暗さ・黒さを意味し、*miの部分が目を意味していたのではないかと思われます。現代の日本語にkurome(黒目)という言い方があるのを考えても、その可能性が高いです。

少し脱線

前に、数詞の起源について説明したことがありました(数詞の起源について考える、語られなかった大革命を参照)。

水を意味していた語が、水を意味することができなくなり、その横の部分を意味するようになる話です。例えば、上のような構図から、pitoが、二つあるうちの一つ(一方)を意味するようになったり、二つあるうちのもう一つ(他方)を意味するようになったり、二つあるうちの二つ(両方)を意味するようになったりする可能性があります。

水を意味するpitoのような語があったことは、hitaru(浸る)、hitasu(浸す)、bityabitya(びちゃびちゃ)、bityobityo(びちょびちょ)、bisyabisya(びしゃびしゃ)、bisyobisyo(びしょびしょ)などの語を見ればわかります。

水を意味していた語が、水を意味することができず、雨を意味することもできず、「落下、下方向、下」を意味するようになる頻出パターンを思い出してください。水を意味するpit-のような語も、「落下、下方向、下」を意味することがあったにちがいありません。

pit-と近い関係にあるpat-は、bataʔ(ばたっ)、battari(ばったり)、batabata(ばたばた)のように「落下、下方向、下」を意味するようになっているし、pit-と近い関係にあるpot-も、potapota(ぽたぽた)、potupotu(ぽつぽつ)、potopoto(ぽとぽと)のように「落下、下方向、下」を意味するようになっています。

こうして見ると、「水」→「雨」→「落下、下方向、下」という意味変化が頻出パターンであることが改めてよくわかります。そうなると、「落下、下方向、下」を意味するところで終わらない語が次々に出てきます。

kurome(黒目)のkuro(黒)は、kura(暗)とともに、「落下、下方向、下」という意味から変化してきた語でした(日没の時間、明るさと暗さについての再考を参照)。(日が)落ちることを意味していた語が、暗さ・黒さを意味するようになるのでした(kuru(暮る)はkura(暗)/kuro(黒)と同源ということです)。yami(闇)もこのパターンでした(前記の記事を参照)。同じように、*pitomi(瞳)の*pitoも、「落下、下方向、下」を意味していて、暗さ・黒さを意味するようになった可能性があります。

この可能性は高そうです。

日本語のhisomu(ひそむ)、hisomeru(ひそめる)、hisohiso(ひそひそ)、hisohiso(ひっそり)、hisoyaka(ひそやか)、hisoka(ひそか)などの語彙は、それぞれかなり抽象化していますが、かつて「落下、下方向、下」を意味する*pisoという語があったことを強く示唆しています。

hisomeru(ひそめる)からいきましょう。

「声をひそめる」と言いますが、これは声を小さくすること、別の言い方をすれば、声を落とすこと、声を低くすることです。hisohiso(ひそひそ)も同じところから来ているでしょう。

「眉をひそめる」とも言います。眉間にしわを寄せる動作という理解で正しいですが、他の語彙との関連を考えると、もともと以下の図のように眉を下へ動かすことを意味していたと見られます。

hisomu(ひそむ)は、「潜む」と書かれることが多いですが、沈むことを意味していたのではないかと思われます。水中に隠れるところから、一般に隠れることを意味するようになったのでしょう。hisomu(ひそむ)が隠れることを意味し、hisomeru(ひそめる)が隠すことを意味するようになるわけです。

sita(下)がsizumu(沈む)とsizuka(静か)(古形はsidumu(沈む)とsiduka(静か))と同源であることを考えれば、hissori(ひっそり)、hisoyaka(ひそやか)、hisoka(ひそか)などもすんなり理解できるでしょう。最初は静かなことを意味していて、そこに、知られないようにする、秘密にするなどの意味が加わったのでしょう。

「落下、下方向、下」を意味する*pito、*pisoあるいはこれらに似た形の語があった可能性はやはり高いです。

今回の「目」の話のついでに、日本語のmayu(眉)にも言及しておきましょう。奈良時代にはmayo(眉)でした。これは、ベトナム語のmày(眉)マイに非常によく似ています。古代中国語のmij(眉)ミイにもいくぶん似ています。日本語、ベトナム系言語、シナ・チベット語族以外の周辺言語の「眉」を調べても、さらに「目」と「毛」を調べても、上記のような語は見られないので、日本語のmayu(眉)とベトナム語のmày(眉)と古代中国語のmij(眉)の間になんらかの関係があることは間違いありません。「目」を意味する語ほどではありませんが、「眉」を意味する語も結構変わりにくいです。隋・唐の頃の古代中国語のmij(眉)と比べて、日本語のmayu(眉)とベトナム語のmày(眉)の形がやや異なっているので、もっともっと古い殷~周~春秋・戦国~秦・漢の頃の古代中国語(時代差・地域差があります)の「眉」が、日本語のmayu(眉)とベトナム語のmày(眉)になったのかもしれません。

ベトナム系言語の「目」、タイ系言語の「目」、シナ・チベット語族の「目」と見てきました。次は、いよいよモンゴル系言語の「目」です。

日本語が来た道:遼河流域→山東省→朝鮮半島→日本列島

日本語は遼河流域からどのようにして日本列島にやって来たのかという核心的な問題に、いよいよ踏み込みましょう。Robbeets 2021の図を再び掲げます。

実際にどのような歴史展開があったのか考えず、単純に地図だけを見れば、遼河流域から直接朝鮮半島に移動し、朝鮮半島から日本列島に移動するのが一番手っ取り早く思えるでしょう。しかし、本記事の前の三つの記事でお話ししたように、紀元前1500年頃(つまり3500年前頃)から、遼東半島、山東省あるいはその両方から朝鮮半島にイネの栽培を導入した人たちが、先住民である狩猟採集民(かつてのアワ・キビの栽培が衰えてしまったことはすでに述べました)を圧倒する形で、朝鮮半島を支配するようになりました。そして、イネの栽培を行う人たちが支配するようになった朝鮮半島から日本語が日本列島にやって来ました。

そのようなわけで、日本語は遼河流域から遼東半島を通ってやって来たのか、それとも、遼河流域から山東省を通ってやって来たのかという点が焦点になります。しかしながら、言語だけに限った話ではないのですが、遼河流域にあったものが遼東半島を通って朝鮮半島に入る流れは盛んに注目されているものの、遼河流域にあったものが山東省を通って朝鮮半島に入る流れは驚くほど注目されていません。考古学は近年すばらしい進歩を遂げていますが、その考古学でも遼河流域から山東省を通って朝鮮半島に入る流れはまだ注目されていません。それだけ難しい問題あるいは気づきにくい問題なのです。確かに、山東省は遼河流域ではなく、黄河下流域にあるので、遼河流域と山東省の結びつきについて考える動きが鈍いのはよくわかります。

本ブログでもよく「遼河文明、黄河文明、長江文明」と言っていますが、遼河流域の歴史展開と、黄河流域の歴史展開と、長江流域の歴史展開は全然別々のものではなく、時代によって、遼河流域のある部分と黄河流域のある部分に密接なつながりがあったり、黄河流域のある部分と長江流域のある部分に密接なつながりがあったりします。

日本語は実は、遼河流域にあったものが山東省を通って朝鮮半島に入る流れがあったことをまざまざと示している言語です。(1)モンゴル系の言語から日本語に語彙が入り、(2)シナ・チベット語族の言語から日本語に語彙が入り、(3)タイ系の言語から日本語に語彙が入り、(4)ベトナム系の言語から日本語に語彙が入る様子を見てみましょう。(1)~(4)のことがセットで可能になるのは、どんな場合でしょうか。日本語が遼河流域から直接朝鮮半島に入った場合では、無理でしょう。日本語が遼河流域から遼東半島を通って朝鮮半島に入った場合でも、無理そうです。(1)~(4)のことがセットで可能になるのは、日本語が遼河流域から山東省を通って朝鮮半島に入った場合なのです。

※遼河文明の要素は、遼河流域から直接朝鮮半島に入ることもあったし、遼河流域から遼東半島を通って朝鮮半島に入ることもあったし、遼河流域から山東省を通って朝鮮半島に入ることもありました。日本語が遼河流域から山東省を通って朝鮮半島に入ったとしても、日本語に系統的に近い言語が、遼河流域から直接朝鮮半島に入ったり、遼河流域から遼東半島を通って朝鮮半島に入ったりした可能性は十分にあります。ここでは、日本語に系統的に近い言語ではなく、日本語そのものの移動ルートを問題にしています。同一の起源を持つ言語がそれぞれ違う方向に広がっていくのは、当然のことです。

この記事は、考古学の話を続ける前にはさんだつなぎの記事で、考古学の話を続ける前に簡単なスケッチを見せることを目的としています。ここでは、モンゴル系言語で「目」を意味する語が日本語に入ってくるところ、シナ・チベット語族の言語で「目」を意味する語が日本語に入ってくるところ、タイ系言語で「目」を意味する語が日本語に入って来るところ、ベトナム系言語で「目」を意味する語が日本語に入ってくるところを捉えます。

「目」を意味する語は、他の語とはわけが違います。人間の言語の語彙の中で自然に関する語彙と身体部位を表す語彙は変化しにくいですが、自然に関する語彙の中で最も変化しにくいのが「水」を意味する語で、身体部位を表す語彙の中で最も変化しにくいのが「目」を意味する語です。たとえ、「水」を意味していた語が「水」を意味することができなくなっても、「目」を意味していた語が「目」を意味することができなくなっても、残り方に大きな特徴があります。

前に、「目(め)」の語源の記事で、ウラル語族の「目」について論じましたが、ウラル祖語で「目」を意味していた語が、現代のウラル語族のすべての言語でも「目」を意味しているという驚くべき状況になっていました。

「目」を意味する語は、このぐらい変化しにくいのです。

実際、モンゴル系言語の「目」を見ても、シナ・チベット語族の「目」を見ても、タイ系言語の「目」を見ても、ベトナム系言語の「目」を見ても、ほとんど変化していません。過去の記事のおさらいを含みますが、ベトナム系言語の「目」→タイ系言語の「目」→シナ・チベット語族の「目」→モンゴル系言語の「目」の順に見ていきましょう。

ちなみに、ベトナム系言語の「目」はベトナム語のmắt(目)マ(トゥ)ような語、タイ系言語の「目」はタイ語のtaa(目)のような語、シナ・チベット語族の「目」は古代中国語のmjuwk(目)ミウクのような語、モンゴル系言語の「目」はモンゴル語のnüd(目)ヌドゥのような語です。

ベトナム系言語の「目」

ベトナム系言語のベトナム語mắt(目)マ(トゥ)のような語は、日本語にma(目)として入り、のちにme(目)に変化しました(この変化はta(手)がte(手)になったのと同じ変化です)。

日本語のma(目)はわかりやすいですが、日本語のmatu(待つ)も見逃してはいけません。目を意味することができなくなった語が、なにを意味するようになるか考えてみてください。目を意味することができなくなった語が、見ることを意味するようになるのは超頻出パターンです。しかし、超頻出パターンなので、目を意味することができず、見ることを意味することもできない語が出てきます。目を意味することができず、見ることを意味することもできない語は、なにを意味するようになるのでしょうか。実は、以下の頻出パターンがあります。

ある人が立っています。親しい人が来るのを待っています。どんな様子でしょうか。親しい人が来ると予想される方向をずっと見たり、ちらちら見たりしているのではないでしょうか。見ることを意味していた語が、待つこと、待ち望むこと、望むことを意味するようなるのは頻出パターンなのです。

例えば、英語のexpect(期待する)はこのパターンです。ラテン語で、外を意味するexと見ることを意味するspectareから、待つことを意味するexspectareが生まれ、これが英語のexpect(期待する)になりました。

ちなみに、英語のwait(待つ)も見ることを意味していた語です。ただし、敵対的な視線を意味していました。待ち伏せしたり、待ち構えたりするような感じです。そこから、敵対的な意味が薄れて、一般に待つことを意味するようになりました。これも、見ることを意味する語が待つことを意味するようになったケースです。ともかく、見ることと待つことには密接な関係があります。

上の「目」→「見ること」→「待つこと、待ち望むこと、望むこと」という意味変化は重要で、後でまた出てくるので覚えておいてください。

タイ系言語の「目」

タイ語のnaam(水)、taa(目)、naam taa(涙)は、本ブログで何度も取り上げており、おなじみでしょう(タイ語は、日本語と違って、うしろから修飾します)。

日本語のnama(生)(焼いたり、干したりしておらず、水っぽいという意味です)やnami(波)から、タイ系言語の話者が近くにいてnaam(水)のように言っていたことがわかります。

日本語のnamida(涙)(奈良時代にはnamita、namuta、namida、namudaという形がありました)から、タイ系言語の話者が近くにいてnaam taa(涙)のように言っていたことがわかります。

タイ系言語の話者がnaam(水)、naam taa(涙)のように言うのを聞いていたのなら、タイ系言語の話者がtaa(目)のように言うのも聞いていたはずです。おそらく、このtaa(目)のような語も日本語に入ろうとしたが、他の語に押し負け、namida(涙)に組み込まれて残ることしかできなかったと思われます。

ベトナム系言語の「目」とタイ系言語の「目」は上のようにして日本語に入りましたが、シナ・チベット語族の「目」とモンゴル系言語の「目」はどのように日本語に入ったのでしょうか。

長くなるので、ここでいったん切ります。

※ウラル語族の「目」(フィンランド語のsilmä(目)スィルマのような語)に日本語のziroʔ(じろっ)、ziroziro(じろじろ)、zirori(じろり)が対応していることは、「目(め)」の語源の記事でお話ししました。日本語ではかつて、*siro(目)と言っていたわけです。sira(白)→siro(白)という発音変化があったので、*sira(目)がもとの形かもしれません。

「じっと見る」のziʔ(じっ)も、ziroʔ(じろっ)、ziroziro(じろじろ)、zirori(じろり)と同源でしょう。ziʔ(じっ)は、見ることを表していたが、待つことなども表すようになり、とどまって動かないという意味が生まれてきたと見られます。

 

参考文献

Robbeets M. et al. 2021. Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Nature 599(7886): 616-621.