不思議な言語群

朝鮮語では、「目」のことをnun、「水」のことをmulと言います。そして、これらの語を組み合わせてnunmul(涙)という語を作っています。これはわかりやすいです。

それにひきかえ、日本語のnamida(涙)は怪しい語です。一音節でもなく、二音節でもなく、三音節です。複合語かなと思わせつつ、「まなこ」や「まつげ」のように「ま」は入っていないし、「めがしら」や「めじり」のように「め」も入っていません。目に関する語彙の中で、明らかに浮いています。率直に言って、外来語ではないかと疑いたくなる語なのです。

東アジア・東南アジアの言語で「涙」のことをなんと言っているか調べてみましょう。

やはり出てきました。タイ語(およびラオス語)の naam taa です。タイ語では、「水」のことをnaam、「目」のことをtaaと言います。そして、これらを組み合わせたのが naam taa (涙)です(タイ語では日本語と違って後ろから修飾します)。このような語が日本語に入ったのです。奈良時代の日本語には、namita、namida、namuta、namudaという形が混在していました(上代語辞典編修委員会1967)。昔の日本語の話者が子音の連続を避けるためにiまたはuという母音を挿入していたのがわかります。

タイ語のnaam(水)は、ツングース諸語のエヴェンキ語lāmu(海)、ウデヘ語namu(海)、ナナイ語namo(海)、ウイルタ語namu(海)、満州語namu(海)、そして日本語のnami(波)にも通じていると考えられます。タイ系の言語で「水」を意味していた語が、ツングース系の言語に「海」という意味で、日本語に「波」という意味で取り入れられたのです。日本語のnama(生)も、「(焼いたり、干したりしておらず)水っぽい、水分を含んでいる」というのが原義であったと思われます。

日本語の中には、タイ系の語彙も見受けられます。日本語のそばでタイ系の言語が話されていた時代があったのです。しかも、その時代はそんなに遠い昔ではないようです。

例えば、英語のtear(涙)は、同じゲルマン系のドイツ語Zähre(涙)ツェール(今ではもう廃れています)、さらにはイタリア語lacrima(涙)、ギリシャ語dákry(涙)ザクリなどと同源ですが、やはり長い年月が過ぎると、形がかなり異なっています。

それに対して、タイ語の naam taa (涙)と日本語のnamida(涙)(奈良時代にはnamitaという形も存在)は、意味がぴったり一致しているだけでなく、日本語が子音の連続を避けるために母音を挿入した点を除けば、形もぴったり一致しており、タイ系の言語から日本語に語が取り入れられたのがそんなに遠い昔でないことを物語っています。

タイ系の言語は、現在では中国南部からインドシナ半島へ逃げのびたように分布していますが、古代中国語が勢力を拡大する前にどのように分布していたかは定かでありません。ただ、ツングース系の言語や日本語に語彙を提供できる位置にタイ系の言語が存在したのは確かです。遼河文明の言語と黄河文明の言語と長江文明の言語の間で滅亡せずに存続してきたタイ系の言語がなんなのかということは、今のところ謎めいていますが、東アジアの歴史を考える際には意識の片隅に置いておかなければなりません。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

簡単にはわからない「肘(ひじ)」の語源

日本語のte(手)はウラル語族との共通語彙ではないようだと書きましたが、日本語のhizi(肘)はウラル語族との共通語彙かどうかきわどいところです。

フィンランド語では、「肘」のことをkyynärpääキューナルパーと言います。この語は、「肘から指先までの長さ」を意味するkyynäräに「端」を意味するpääがくっついてできた複合語です。昔の人々が肘から指先までの部分(あるいは肘から手首までの部分)を長さの単位にしていたことは、よく知られている事実です。フィンランド語のkyynärä(肘から指先までの長さ)キューナラは、マリ語kənjer(肘から指先までの長さ)クニェル、エルジャ語kenjerje(肘から指先までの長さ)ケニェリェ、ハンガリー語könyök(肘)コニョクなどと同源です。フィンランド語のkyynäräの-räやハンガリー語のkönyökの-kは後から付けられた接尾辞であり、それらの前のkyynä-やkönyö-の前身にあたる語が「肘」または「前腕」を意味していたと考えられています。頭子音kの後ろの母音がかなりばらついているため、この部分は決定困難ですが、*kVnjäのような形が推定されます。ちなみに、フィンランド語のyは、唇を小さく丸めたウの形でイと発音する音で、発音記号で表すと[y]です。ハンガリー語のöは、口をオの形にしてエと発音する音で、発音記号で表すと[ø]です。

肘の特徴はなんといっても曲がることです。英語のelbow(肘)は、古くはelnbogaと言い、「前腕」を意味するelnと「曲がるもの、曲がったもの」を意味するbogaがくっついた形になっていました。bogaはbowに変化し、bow(弓)、elbow、rainbow(虹)などの形で健在です。

「肘」と「曲がる」の一体ともいえる密接な関係を考えると、ウラル語族で「肘のあたり」を意味していた*kVnjäは、日本語のkuneru(くねる)やkunekune(クネクネ)のkuneを思い起こさせます。katakuna(頑な)に組み込まれているkunaはもともと「曲がっていること」を意味していたと思われ、これが古い形と考えられます。グニャ(gunya)、フニャ(hunya)なども同類でしょう。

その一方で、ウラル語族で「肘のあたり」を意味していた*kVnjäは、英語のknee(膝)なども思い起こさせます。こちらも見逃せません。インド・ヨーロッパ語族のゲルマン系の言語では、「膝」のことを以下のように言います。

ゲルマン系言語の「膝」は、インド・ヨーロッパ語族の他の系統の言語を見ると、必ずしも「膝」を意味する語に通じておらず、「曲げる」や「肘」を意味する語に通じていることもあります。

例えば、ゲルマン系言語の「膝」は、スラヴ系のロシア語koleno(膝)、ポーランド語kolano(膝)には通じておらず、「曲げる」を意味する語に通じています。

インド・ヨーロッパ語族の多くの言語でそうですが、ロシア語とポーランド語でも、主語が1人称単数、2人称単数、3人称単数、1人称複数、2人称複数、3人称複数のいずれであるかによって、動詞の形が変わります。

また、ゲルマン系言語の「膝」は、バルト系のリトアニア語kelis(膝)、ラトビア語celis(膝)には通じておらず、「肘」を意味する語に通じています。

リトアニア語のalkūnė(肘)とラトビア語のelkonis(肘)は、先ほど説明した英語のelbow(肘)と同じような作りになっており、前のal-、el-の部分が「腕」を意味し、後ろの-kūnė、-konisの部分が「曲がるもの、曲がること」を意味していたと考えられます。

話が少し複雑になりますが、筆者は、インド・ヨーロッパ語族のおおもとの言語(印欧祖語)にリトアニア語のalkūnė(肘)のような語があり、そこからkが消えて、古代ギリシャ語olene(肘)、ラテン語ulna(肘)、古英語eln(前腕)などの語が生じたと考えています。リトアニア語は、インド・ヨーロッパ語族の昔の特徴を非常によく残していることで有名な言語です。

このように、ウラル語族で「肘のあたり」を意味していた*kVnjäは、一方では日本語の語彙に、他方ではインド・ヨーロッパ語族の語彙に通じていると見られ、注目に値します。

日本語のhizi(肘)は、hiza(膝)との関連が100パーセント否定できないので、後でhiza(膝)といっしょに扱うことにします(この問題はこちらの記事で決着します)。

次に胴体に関する語彙の考察に移ります。mune(胸)、hara(腹)、kosi(腰)、se(背)、siri(尻)を取り上げます。

日本語の「手(て)」はなんと外来語だった!

日本語のude(腕)、kaina(かいな)、kata(肩)、waki(脇)がウラル語族との共通語彙であることを見てきましたが、まだ肝心の語が出てきていません。それはte(手)です。たなごころ、たづなのような語があることから、*taが古い形であると考えられます。この語は、ude(腕)、kaina(かいな)、kata(肩)、waki(脇)と違って、CVという一音節で、異彩を放っています。このCVという一音節がウラル語族の語彙といまひとつ合いません。te(手)は、別のところから来た、つまり外来語である可能性が高いのです。

日本の周辺地域の言語で「手」のことをなんと言っているか見てみましょう。

もちろんこれだけではわかりませんが、可能性のありそうな語がいくつかあります。クメール語はカンボジアの主要言語で、タガログ語はフィリピンの主要言語です。

te(手)のような最も基本的な語が外来語なのかと驚かれるかもしれません。確かに、「手」を意味する語はそう簡単に変わるものではありません。

現代の日本語のte(手)は、日本語の最古の文献が残る奈良時代から使われ続けているし、現代の中国語のshou(手)は、中国語の最古の文献が残る殷の時代から使われ続けています。

ウラル語族では、前に見た通りです。フィン・ウゴル系のほうでは、フィンランド語のkäsiカスィ(組み込まれてkäde-、käte-)およびそれと同源の語が「手」を意味していました。サモエード系のほうでは、ネネツ語のŋudaングダおよびそれと同源の語が「手」を意味していました。フィン・ウゴル系とサモエード系の間に違いはあるものの、フィン・ウゴル系とサモエード系のそれぞれの内部では「手」を意味する語は一定していました。

やはり、「手」を意味する語はなかなか変わらないといえます。

ただ、人類の言語の長い歴史の中で、「手」を意味する語が時に変わることがあったのも事実です。それは、ウラル語族のフィンランド語käsiカスィ(組み込まれてkäde-、käte-)とネネツ語ŋudaングダを見てもわかるし、シナ・チベット語族の中国語shouとチベット語 lag pa を見てもわかります。

ちなみに、巨大な言語群であるインド・ヨーロッパ語族の各言語で「手」のことをなんと言っているか調べてみると、大変興味深いことになっています。

英語で「手」のことをhandと言いますが、ゲルマン系の他の言語では、ドイツ語Hand、オランダ語hand、スウェーデン語hand、アイスランド語höndホントゥのようになっています。「手」を意味する語がなかなか変わらないことを裏付けています。

しかし、ゲルマン系以外の言語を見ると、「手」は以下のようになっています。

インド・ヨーロッパ語族全体を見渡すと、「手」を意味する語はかなりばらついています。ちなみに、ゲルマン系の英語handやドイツ語Handなどは語源が不明になっています。盛んに調べられてきたにもかかわらず、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン系以外の言語に、対応する語が見つけられないのです。

インド・ヨーロッパ語族の各言語で「手」を意味する語は全くばらばらなわけではなく、アルバニア語dorëドル、ギリシャ語chériヒェリ、アルメニア語jeṙk’ヅェルクなどは同源と考えられており、インド・ヨーロッパ語族のおおもとの言語(印欧祖語)ではそれらの前身にあたる語が「手」を意味していたと見られています。

インド・ヨーロッパ語族の言語でも、ウラル語族やシナ・チベット語族と同様に、「手」を意味する語が時に変わることがあったのです。ただ、私たちの普通の感覚だと、「手」を意味する語が変わるというのはちょっと考えにくいことです。

ウラル語族との共通語彙ではなさそうな日本語のte(手)は、一体どこから来たのでしょうか。

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