印欧比較言語学の大きな問題点

英語のwater(水)は印欧祖語の「水」から来ているが、ラテン語のaqua(水)は外来語のようだとお話ししました(語られなかった真実、ラテン語のaqua(水)は外来語だったを参照)。

ちなみに、英語のwater(水)と同源なのは、ラテン語のunda(波)です。udaではなくundaになっていることに注意してください。nが挿入されています。これは、ラテン語が風変わりなことをやっているわけではなく、ヨーロッパ方面に広く見られる傾向です。ロシア語ではvoda(水)ですが、リトアニア語ではvanduo(水)です。この時々起きるnの挿入は、インド・ヨーロッパ語族(およびウラル語族)の研究において極めて重要ですが、これまでほとんど強調されてきませんでした。

nの挿入がヨーロッパ方面における重要な現象として認識できていれば、長らく不明とされてきたゲルマン系の英語のhand(手)などの語源もおのずと明らかになります。ヒッタイト語ker(心臓)、古代ギリシャ語kardia(心臓)、ラテン語cor(心臓)コルに英語のheart(心臓)が対応しているように、ゲルマン系の言語はk→hという変化を起こしています。したがって、英語のhand(手)などのhもkだった可能性があります。ここまでわかっていれば、ウラル語族のフィンランド語käsi(手)カスィ(組み込まれてkäde-、käte-)の類が、k→hという変化とnの挿入を経て、英語のhand(手)などになったのではないかと考えてもよかったのです。

このことが検討されなかったのは、インド・ヨーロッパ語族からウラル語族に語彙が流入することはあっても、ウラル語族からインド・ヨーロッパ語族に語彙が流入することはないだろうという思い込みがあったからです。ウラル語族の言語にインド・ヨーロッパ語族からの外来語が大量に見られることから、インド・ヨーロッパ語族とウラル語族が大々的に接していたことは確かで、力関係は「インド・ヨーロッパ語族>ウラル語族」です。 力関係が「インド・ヨーロッパ語族>ウラル語族」なら、インド・ヨーロッパ語族からウラル語族に語彙が流入しそうです。これはその通りです。しかし、それだけではないのです。国家や国境がない時代であれば、ウラル語族の言語を話していた人々がインド・ヨーロッパ語族の言語に大勢乗り換えるということも起きるのです。

Internetやsmartphoneのような英語が日本語で一般的になりましたが、handという英語は日本語で一般的になりません。なぜでしょうか。手はインターネットやスマートフォンとは全く異質です。手は文明が発達する前から存在しているものです。どの言語にも「手」を意味する語(しかも日常頻出語)があり、ある言語の「手」が別の言語で一般的になるということは普通起きません。しかし、この普通起きないことが起きる場合がありました。それは、ある言語の話者が別の言語に大勢乗り換えた場合です。ウラル語族の言語を話していた人々がインド・ヨーロッパ語族のゲルマン系言語にどっと乗り換えれば、フィンランド語のkäsi(手)(組み込まれてkäde-、käte-)のような語がインド・ヨーロッパ語族のゲルマン系言語で一般的になることはありえます(同じように、ベトナム系の言語を話していた人々が日本語にどっと乗り換えれば、ベトナム語のtay(手)のような語が日本語で一般的になることはありえます)。実際にそのようなことがあったのです。

※昔の英語には、cwelan(死ぬ)クエラン(語幹cwel-)という動詞がありました。ウラル語族のフィンランド語kuolla(死ぬ)(語幹kuol-)の類がインド・ヨーロッパ語族のゲルマン系言語に入ったと見られます(ウラル語族のフィンランド語kuolla(死ぬ)の類がウラル語族全体に分布し、しかも日本語との共通語彙であることは、「死ぬ」と「殺す」の語源の記事に記しました)。やはり、量はともかく、ウラル語族からインド・ヨーロッパ語族のゲルマン系言語に基本語彙が入っていたことを裏づけています。その後、cwelan(死ぬ)は廃れ、die(死ぬ)が一般的になりました。cwelan(死ぬ)と対になっていたcwellan(殺す)クエッランは、quell(鎮める)として残っています。なお、cwellan(殺す)の形にバリエーションがあって、そのバリエーション形からkill(殺す)が生まれたのではないかという説もあります(Ayto 2011)。確かに、cwellan(殺す)のweの部分は同じ時代の他のゲルマン系言語でも様々に変化していたので、あながち無理な話ではありません。

インド・ヨーロッパ語族は、人がいない地域に拡大していったのではなく、すでに人がいる地域に拡大していきました。インド・ヨーロッパ語族は巨大な言語群になりましたが、その過程でインド・ヨーロッパ語族以外の言語からインド・ヨーロッパ語族の言語に乗り換えた人が大勢いたのです。そのため、インド・ヨーロッパ語族の各言語の基本語彙には結構外来語が入り込んでいます。

ウラル語族からインド・ヨーロッパ語族に入った語彙は非常に限られていますが、古代北ユーラシアの巨大な言語群からインド・ヨーロッパ語族に入った語彙は大量にあります。ヨーロッパ方面に限って見れば、ウラル語族は新参者です。しかし、古代北ユーラシアの巨大な言語群は違います。インド・ヨーロッパ語族がこれから拡散しようとする時に、古代北ユーラシアの巨大な言語群は北ユーラシア全体を大きく覆っていたのです。古代北ユーラシアの巨大な言語群は、印欧祖語の時代あるいはその分岐の初期の頃からインド・ヨーロッパ語族に影響を与えており、その影響はインド・ヨーロッパ語族の様々な系統に及んでいます。従来のインド・ヨーロッパ語族の研究では、インド・ヨーロッパ語族の複数の系統に似た語が見つかれば、それらの語はもともとインド・ヨーロッパ語族にあったものと決めつけられることが多かったですが、これは適切ではありません。古代北ユーラシアの巨大な言語群の語彙がインド・ヨーロッパ語族の複数の系統に入っていることはよくあるからです。インド・ヨーロッパ語族の言語に埋まっている外来語と思われてこなかった外来語を地道に明らかにしていくことが、北ユーラシアの言語の歴史を知るうえで重要です。「古代北ユーラシアの巨大な言語群」と書いてきましたが、そろそろこの言語群の正体に迫ることにしましょう。

 

補説

ジュースと酒

人類の言語には、水以外の液体(特に飲食用の液体あるいは動植物関連の液体)を広く意味してきた語があります。日本語でいえば、siru(汁)のような語です。ラテン語のiusユースもそのような語でした。このラテン語のiusから英語のjuice(ジュース)は来ています。

ラテン語のiusと同源で、スープ等を意味するロシア語uxaウハー、ポーランド語juchaユハ(この語はスープだけでなく様々な液体を意味しました)、ブルガリア語juxaユハ―、サンスクリット語yuṣaḥユーシャフなどを見る限り、ラテン語のiusはsの前にあったk、x、hのような子音が消失した形と見られます。ラテン語のiusを含む上記の一連の語も、古代北ユーラシアの巨大な言語群で水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語から来ていると考えられます。

古代北ユーラシアの巨大な言語群で水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語は、フィンランド語jää(氷)ヤーやハンガリー語jég(氷)イェーグになっただけでなく、ニヴフ語tʃaχ(水)チャフ、モンゴル系言語の*tʃaksu(n)(雪)チャクス(ン)、エヴェンキ語djuke(氷)デュケ、日本語yuki(雪)などにもなったようだと述べました。モンゴル系言語の*tʃaksu(n)は、現代のモンゴル語ではtsas(雪)ツァス、ブリヤート語ではsahan(雪)サハンになっています。ja(ヤ)がいきなりsa(サ)になることは考えにくいですが、jaがtʃa(チャ)、dʒa(ヂャ)、ʃa(シャ)、ʒa(ジャ)のような音を経てsaになることは十分考えられます。ブリヤート語の例がそうです。日本語の*saka(酒)も、究極的には、古代北ユーラシアの巨大な言語群で水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語から来たのかもしれません。アルコール飲料の語源が「水」であることは多いです。水を意味したjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語が根底にあっても、日本語に入ってきた経路が全然違えば、*saka(酒)とyuki(雪)のようになっておかしくありません。むしろ、人類の言語の長大な歴史の中で、このようなことは普通に起きていると見るべきでしょう。

 

参考文献

Ayto J. 2011. Dictionary of Word Origins: The Histories of More Than 8,000 English-Language Words. Arcade Publishing.

中国語はなぜ大言語になったのか?

かつて北ユーラシアに巨大な言語群が存在し、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていたようだとお話ししました。その影響は、インド・ヨーロッパ語族とウラル語族だけでなく、東アジアの言語にも広く現れています。

ウラル語族のフィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグ、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクなどは、上記の巨大な言語群の「水」から来ていると見られますが、日本語yuki(雪)、エヴェンキ語djuke(氷)デュケ、モンゴル語tsas(雪)ツァスなども、上記の巨大な言語群の「水」から来ていると見られます。

ヨーロッパの人たちが日本のことを「ジャパン」と言ったり、「ヤパン」と言ったりしていますが、「ヤ、ユ、ヨ」の類は「ジャ、ジュ、ジョ」の類あるいは「ヂャ、ヂュ、ヂョ」の類と交代しやすいです。そして、「ジャ、ジュ、ジョ」の類は「シャ、シュ、ショ」の類と、「ヂャ、ヂュ、ヂョ」の類は「チャ、チュ、チョ」の類と密接につながっています。モンゴル語のtsas(雪)ツァスは、大変わかりにくくなっていますが、モンゴル諸語全体を見渡す限り、*tʃaksu(n)チャクス(ン)のような形から現在の形に至っており、語頭の子音がj→tʃ→tsと変化してきたと考えられます(jは日本語のヤ行の子音です)。

フィンランド語jää(氷)、ハンガリー語jég(氷)、マンシ語jāŋk(氷)、ハンティ語jeŋk(氷)、日本語yuki(雪)、エヴェンキ語djuke(氷)、モンゴル語tsas(雪)などはすべて、かつて北ユーラシアに存在した巨大な言語群の「水」から来ていると見られます。「水」を意味していた語が「氷」または「雪」を意味するようになったのです。

「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・の記事で、ウラル語族で水のことをなんと言っているか示しましたが、サーミ語čáhci(水)チャフツィとハンティ語jiŋk(水)インクだけが例外的でした。上のモンゴル語の例を見た後であればわかると思いますが、サーミ語čáhci(水)の頭子音č(発音記号では[tʃ])ももともとjであった可能性が高いです。サーミ語čáhci(水)は、ウラル語族がヨーロッパの最北部に到達した時にそこの先住民が使っていたと考えられる語彙です。サーミ語čáhci(水)チャフツィの形は、モンゴル語*tʃaksu(n)(雪)チャクス(ン)とよく似ていますが、ニヴフ語tʃaχ(水)チャフなども思い起こさせます。古代北ユーラシアの巨大な言語群がヨーロッパの奥地まで広がっていたことを示唆しています。

このように、古代北ユーラシアの巨大な言語群の影響は東アジアの言語にも及んでいますが、とりわけ興味深いのは、その影響が特に中国語に及んでいると見られることです。例えば、古代中国語には以下のような語彙がありました。

yek(液)イエク
yowk(浴)イオウク

ウラル語族のフィンランド語joki(川)ヨキ、ハンガリー語jó(川)ヨー、マンシ語jā(川)ヤー、ハンティ語joxan(川)ヨハンやフィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグ、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクなどの例があるので、以下のような語彙も無視できません。

yang(洋)イアン
yowng(湧)イオウン
yowng(溶)イオウン

いずれも、水に関係のあるなにかを意味していますが、水そのものを意味しているわけではありません。形が明らかにsywij(水)シウイとは違います。

※日本語のwaku(湧く)は、アイヌ語のwakka(水)のような語から来たものでしょう。waku(沸く)やwakuwaku(ワクワク)にもつながります。tokeru(溶ける)の古形のtoku(溶く)は、ベトナム系言語のベトナム語nước(水)ヌー(ク)、クメール語tɨk(水)トゥ(ク)、モン語daik(水)ダイ(ク)の類から来たと見られます。tukeru(漬ける)やtukaru(浸かる)も同じところから来ていると思われます。

ひょっとして中国語は外来語をたくさん含んでいる言語なのかと考えたくなります。確かに、殷の中国語は圧倒的に豊富な語彙を持ち、殷以降の中国語は他言語に語彙を与える立場でした。しかし、それはあくまで殷以降の中国語の姿であり、殷より前の中国語がそうであったとは限りません(現在世界で最も有力な英語も、かつてはラテン語とその後継言語であるフランス語から大量の語彙をもらう立場でした。そのラテン語自体も、かつては他言語から大量の語彙をもらっていたかもしれないのです)。威風堂々たる中国語を前にして、言語学者は恐れ入ってしまい、実は中国語には外来語が多いのではないかという可能性は積極的に追及されてきませんでした。

圧倒的に豊富な語彙を持つ殷の中国語の成立過程は謎に包まれています。黄河文明の領域は広く、黄河文明の言語はいくつもありました。長江文明の言語だって、遼河文明の言語だってありました。そのような中で、なぜ中国語が大言語になったのでしょうか。もちろん、これは中国語の問題というより、中国語が話されていた地域・社会の問題、中国語を話していた人々の問題です。中国語が大言語になる特別な要因があったはずです。その特別な要因とはなんだったのでしょうか。

語られなかった真実、ラテン語のaqua(水)は外来語だった

古代北ユーラシアに広がっていた謎の巨大な言語群の正体を明らかにするために、まずは「水」を意味する語に注目しましょう。「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・の記事で見たように、「水」を意味する語は変わりにくいからです。しかし、それだけではありません。「水」を意味していた語に意味の変化が生じる場合でも、その意味の変化には明確なパターンがあるのです。地球規模で人類の言語の歴史を考える時には、「水」を意味する語が大きな手がかりになります。

タイ系言語のタイ語naam(水)の類が日本語のnama(生)、nami(波)、numa(沼)、nomu(飲む)になったと見られることはすでにお話ししました(不思議な言語群および「言(こと)」と「事(こと)」の関係を参照)。どれもよくあるパターンです。

nama(生)は、「水」を意味していた語が「濡れること、濡れていること」を意味するようになるパターンです。焼いたり、干したりしておらず、水っぽい状態をnama(生)と言っていたのです。

nami(波)とnuma(沼)は、「水」を意味していた語が「水域(川、海、湖、沼など)」を意味するようになるパターンです。「水」を意味していた語が「海」を意味するようになることは非常に多いですが、「海」は他の語に占められて、「波」を意味するようになることも結構あります。ツングース諸語でエヴェンキ語lāmu(海)、ナナイ語namo(海)、満州語namu(海)、日本語でnami(波)になっているのは、そのような事情によります。

関連する話として、nureru(濡れる)の語源を補説に記しました。

nomu(飲む)は、「水」を意味していた語が「飲むこと」を意味するようになるパターンです。タイ系言語の「水」から日本語の「飲む」が生まれたのです。

ここで、インド・ヨーロッパ語族の「水」に目を転じましょう。インド・ヨーロッパ語族には、ヒッタイト語watar(水)、トカラ語war(水)、ロシア語voda(水)、英語water(水)のような語が広く見られます。しかし、ラテン語ではaqua(水)です。当然、インド・ヨーロッパ語族の研究者らは、なぜラテン語では全然違う言い方をしているのだろうと考えました。しかし、いくつかの説明が試みられたものの、ラテン語のaqua(水)が外来語であるという可能性は検討されませんでした。

ラテン語のaqua(水)は、ヒッタイト語ekuzi(飲む)やトカラ語yoktsi(飲む)と同源と考えられるので、もともとインド・ヨーロッパ語族にあったものとみなされてきたのは無理もありません。ちなみに、英語にはかつてea(川、流れ)という語がありました。この語は、同じゲルマン系のドイツ語aha、ゴート語ahuaなどと同源です。ロシア語にはそれらしき語が見当たりません。少し怪しい感じのするラテン語のaqua(水)ですが、視野をインド・ヨーロッパ語族の外にまで広げると、その怪しさが一気に増します。

例えば、ウラル語族では、フィンランド語joki(川)ヨキ、エストニア語jõgi(川)ユギ、ハンガリー語jó(川)ヨー(現在では廃れ、地名に残っているだけです)、マンシ語jā(川)ヤー、ハンティ語joxan(川)ヨハン、ネネツ語jaxa(川)ヤハのような語がウラル語族全体に広がっています。

フィン・ウゴル系に限られますが、フィンランド語jää(氷)ヤー、エストニア語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグ、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクのような語も見られます。

そしてさらに、「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・の記事で示しましたが、ハンティ語では水のことをjiŋkインクと言います。ウラル語族のほぼすべての言語がウラル祖語の時代から「水」を意味する語を変えていないのに、ハンティ語ではjiŋk(水)と言うようになったのです。

※筆者はマンシ語jāŋk(氷)、ハンティ語jeŋk(氷)およびjiŋk(水)などのŋは後から挿入されたものと考えていますが、これについては別のところで論じます。

ウラル語族の水に関係する語彙には、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語根の存在が感じられます。しかしながら、そのような語根から生まれたと見られる語は、水に関係のあるなにかを意味しているが、水そのものを意味しているわけではないのです。

インド・ヨーロッパ語族でも、先頭のjが大々的に脱落してはいますが、ウラル語族とほぼ同じ傾向が認められます。水に関係のあるなにかを意味しているが、水そのものを意味しているわけではないというのは、重要なポイントです(ラテン語aqua(水)やハンティ語jiŋk(水)は例外的です)。インド・ヨーロッパ語族とウラル語族のまわりで話されていた言語群の「水」がインド・ヨーロッパ語族とウラル語族に入ったことを強く思わせるからです。その言語群の「水」は、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような形をしていたのではないかということです。

上に挙げたインド・ヨーロッパ語族とウラル語族の語彙を見ると、形と意味のばらつきが著しいです。かつて北ユーラシアに巨大な言語群が存在して、その各言語に「水」が少しずつ異なる形で分布し、それらの「水」がインド・ヨーロッパ語族とウラル語族にどっと入ったと考えると合点がいきますが、果たしてどうでしょうか。

 

補説

nureru(濡れる)の語源

nureru(濡れる)の古形はnuru(濡る)です。

タイ系言語のタイ語naam(水)の類は、numa(沼)という形でも日本語に入ったようだと述べました。奈良時代の時点では、nu(沼)という形とnuma(沼)という形がありました。日本語ではnumという形が許されないので、子音を落としてnuにしたり、母音を補ってnumaにしていたと考えられます。

nuとnumaも最初は「水」を意味しようとしたが、それが叶わず、最終的に「沼」という意味に落ち着いたと見られます。このnuとnumaから、nuru(濡る)、nurunuru(ぬるぬる)、numenume(ぬめぬめ)、numeru(滑る)なども生まれたと考えられます。

下二段活用で自動詞だったnuru(濡る)と四段活用で他動詞だったnuru(塗る)も同源でしょう。