ユーラシア大陸からアメリカ大陸への人類の進出

この記事はアメリカ大陸のインディアンとは誰なのか?の続きです。

日本語の歴史やインド・ヨーロッパ語族の歴史について詳しく知りたければ、アメリカ大陸のインディアンについてよく知らなければならない。これは、筆者にとって思いもよらぬ展開でした。しかし、必然的な展開でもありました。

アメリカ大陸のインディアンといえば、東アジア・東南アジアの人々にどこか似ていて、どこか違う感じがする。アメリカ大陸のインディアンとして一括りにされることもあるが、ちょっと一様には見えない。筆者はそのような印象を持っていましたが、同じようなことを思った人も結構いるかもしれません。

生物学が発達し、人間のDNAが調べられるようになったことは、人類の歴史を研究するうえで、極めて大きな一歩でした。親から子に伝えられるDNA情報は、アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が作る列によって伝えられていることが明らかになりました。

私たちのDNA配列(A、T、G、Cが作る列)は基本的に、母親が持っているDNA配列と父親が持っているDNA配列が組み合わせられてできたものです。しかし、母親から娘へ代々不変的に伝えられる部分(ミトコンドリアDNA)と、父親から息子へ代々不変的に伝えられる部分(Y染色体DNA)があります。人類の歴史の研究においてまず注目されたのが、このミトコンドリアDNAとY染色体DNAでした。

ミトコンドリアDNAは母親から娘へ代々不変的に伝わっていき、その途中のだれかのミトコンドリアDNAに突然変異(配列のある箇所が変化します)が起きると、今度はそのミトコンドリアDNAが母親から娘へ代々不変的に伝わっていきます。こうして、変化したミトコンドリアDNAを持つ人と、変化していないミトコンドリアDNAを持つ人が存在するようになります。同じように、Y染色体DNAは父親から息子へ代々不変的に伝わっていき、その途中のだれかのY染色体DNAに突然変異(配列のある箇所が変化します)が起きると、今度はそのY染色体DNAが父親から息子へ代々不変的に伝わっていきます。こうして、変化したY染色体DNAを持つ人と、変化していないY染色体DNAを持つ人が存在するようになります。

時々起きる突然変異のために、ミトコンドリアDNAのバリエーション、Y染色体DNAのバリエーションができてきます。世界各地の人々のミトコンドリアDNAを調べれば、このミトコンドリアDNAとこのミトコンドリアDNAは近いな、このミトコンドリアDNAとこのミトコンドリアDNAは遠いなということがわかるのです。同じように、世界各地の人々のY染色体DNAを調べれば、このY染色体DNAとこのY染色体DNAは近いな、このY染色体DNAとこのY染色体DNAは遠いなということがわかるのです。

当然、アメリカ大陸のインディアンのミトコンドリアDNAとY染色体DNAも調べられています。ミトコンドリアDNAのほうが、配列の規模が小さいなど、調べやすいので、まずはミトコンドリアDNAが調べられました。早い段階から、インディアンのミトコンドリアDNAにはA系統、B系統、C系統、D系統という四つの系統があることがわかっていました(Torroni 1993)。

※のちに、インディアンのミトコンドリアDNAにX系統という第五の系統があることが判明します。しかし、アメリカ大陸全体に見られるA系統、B系統、C系統、D系統と違って、X系統は北米の一部にしか見られません。X系統は特殊なので、別のところで取り上げます。

ミトコンドリアDNAのA系統、B系統、C系統、D系統は、ユーラシア大陸の東部およびその周辺の島々(日本、台湾、フィリピン、インドネシアなど)に見られるミトコンドリアDNAの諸系統の一部です。アメリカ大陸のインディアンがユーラシア大陸の東部と深い関係を持っていることがわかります。アメリカ大陸のインディアンが、ユーラシア大陸の東部およびその周辺の島々に住んでいる人に似て見えるのは、決して気のせいではないのです。ちなみに、日本人のミトコンドリアDNAは、非常に複雑な構成になっていますが、D系統とB系統が最も多く、この二つで約半分を占めています(円グラフは篠田2007より引用)。

ただ、アメリカ大陸全体にミトコンドリアDNAのA系統、B系統、C系統、D系統が見られるといっても、アメリカ大陸のいたるところでこの四つの系統が同じ割合で出てくるわけではありません。以下のTorroni 1993の棒グラフは、アメリカ大陸の各地域でミトコンドリアDNAのA系統、B系統、C系統、D系統がどのような割合で出てくるか示したものです。

N. Nadene — アラスカ・カナダ西部でナ・デネ語族の言語を話している人々
S. Nadene — 米国南西部でナ・デネ語族の言語を話している人々
N. Amerinds — 上記の人々を除く北米のインディアン
C. Amerinds — 中米のインディアン
S. Amerinds — 南米のインディアン

※現在では、ナ・デネ語族の言語(アサバスカ諸語、イヤック語、トリンギット語から成る)を話す人々はアラスカ・カナダ西部、米国太平洋岸、米国南西部にいます(分布図はWikipediaより引用)。

米国南西部のナバホ族とアパッチ族が有名ですが、ナ・デネ語族の言語を話す人々が南下してきたのは、ヨーロッパから移民がやって来るよりいくらか前のことであったと考えられています(Malhi 2003、Malhi 2008)。言語学的見地からも、アラスカ・カナダ西部、米国太平洋岸、米国南西部で話されているアサバスカ諸語は非常によく似ているので、遠い昔でないことは確実です。

先の棒グラフのデータを見ると、大雑把ではありますが、アラスカ・カナダ西部のN. Nadeneと南米のS. Amerindsが両極端な傾向を示し、地理的に間に位置するS. Nadene、N. Amerinds、C. Amerindsが中間的な傾向を示しているように見えます。ある人間集団がユーラシア大陸の北東部(現在のベーリング海峡のあたり)からアメリカ大陸に入り、広がっていったという最も単純なシナリオよりも、古い時代にアメリカ大陸に入った人間集団と、新しい時代にアメリカ大陸に入った人間集団があり、前者の特徴を強く受け継いでいる集団、中間的な集団、後者の特徴を強く受け継いでいる集団が存在するというシナリオのほうが、グラフのデータとよく合います。

このような微妙な問題はありますが、総じてインディアンのミトコンドリアDNAはユーラシア大陸の東部およびその周辺の島々に住む人々との近い関係を示しており、この点では予想通りといえます。

実は対照的なのが、インディアンのY染色体DNAです。予想通りの結果を示したインディアンのミトコンドリアDNAに対し、インディアンのY染色体DNAは予想通りとはいえない結果を示しました。母から娘へ代々伝わるミトコンドリアDNAはインディアンの一面を見せてくれましたが、父から息子へ代々伝わるY染色体DNAはインディアンの違う一面を明らかにしたのです。インディアンのY染色体DNAの話に移りましょう。

 

参考文献

日本語

篠田謙一、「日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造」、NHK出版、2007年。

英語

Malhi R. S. et al. 2003. Native American mtDNA in the American Southwest. American Journal of Physical Anthropology 120(2): 108-124.

Malhi R. S. et al. 2008. Distribution of Y chromosomes among native North Americans: A study of Athapaskan population history. American Journal of Physical Anthropology 137(4): 412-424.

Torroni A. et al. 1993. Asian affinities and continental radiation of the four founding Native American mtDNAs. American Journal of Human Genetics 53(3): 563-590.

「しっかり」の語源、やはり中国語だった

以前に書いた「ちゃんと」と「きちんと」は中国語由来だったの記事を読んでくださる方が多いので、もう一つ関連記事を書いておきます。

「しっかり」の語源

タイトルの通り、sikkari(しっかり)も中国語由来です。sikkari(しっかり)ほどよく使われませんが、sika(しか)という語があり、こっちが先に存在していたと考えられます。「しかと受け止める、しかと受け取る」のように使われます。

sika(しか)を漢字で書くことはほとんどありませんが、漢字で書けば「確」です。「確」という漢字に、語源を考えるためのヒントが隠されています。これは「石」の話なのです。私たちが石に抱く素朴なイメージとは、どのようなものでしょうか。「かたい」と「重い」ではないでしょうか。

古代中国語にdzyek(石)ヂエクという語がありました。この語は、ある時代にzyakuとsekiという音読みで日本語に取り入れられました。しかし、実はそれだけではありません。

前に、古代中国語で敷物を意味したziek(席)ズィエクという語を取り上げたことがありました。ziek(席)は、zyakuとsekiという音読みで日本語に取り入れられましたが、それだけでなく、siku(敷く)という語にもなっていました。同じように、dzyek(石)は、zyakuとsekiという音読みで日本語に取り入れられましたが、それだけでなく、sika(しか)という語にもなっていたのです。

日本語にはisi(石)という語があるので、古代中国語のdzyek(石)はなにか石に関係のあることを意味しようとします。その結果、(石のような)かたい感じ、揺らがない感じ、安定した感じを表すようになったのです。こうしてsika(しか)、さらにはsikkari(しっかり)という語ができました。かたさを意味するという点で、筋肉や皮下組織の一部が凝り固まる時のsikoru(しこる)/sikori(しこり)や歯ごたえがある時のsikosiko(しこしこ)も無関係でないかもしれません。

「確か」の語源

sikkari(しっかり)の語源は「石」でしたが、tasika(確か)の語源も「石」のようです。テュルク系言語から日本語に語彙が入っていることはすでにお話ししていますが、テュルク系言語では石のことをトルコ語taş(石)タシュ、カザフ語tas(石)、ウズベク語tosh(石)トシュ、ヤクート語taas(石)のように言います。

日本語にはisi(石)という語があるので、テュルク系言語の「石」もなにか石に関係のあることを意味しようとします。そうしてできたのが、揺るぎない感じを表すtasika(確か)や、重量感を表すdosiʔ(どしっ)、dossiri(どっしり)、dosin(どしん)、dosun(どすん)、dosaʔ(どさっ)などであったと思われます。dosiʔ(どしっ)、dossiri(どっしり)、dosin(どしん)が若干変化したのがzusiʔ(ずしっ)、zussiri(ずっしり)、zusin(ずしん)です。

sikkari(しっかり)は古代中国語のdzyek(石)から来た、tasika(確か)はテュルク系言語のトルコ語taş(石)の類から来た、では肝心のisi(石)はどこから来たのかということになります。isi(石)の語源は難解で、sikkari(しっかり)とtasika(確か)のように短く説明できないので、記事を改めます。

アメリカ大陸のインディアンとは誰なのか?

かつて北ユーラシアを支配し、インド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、そして東アジアの諸言語に大きな影響を与えた巨大な言語群は、意外かもしれませんが、アメリカ大陸のインディアンと深い関係があるようです。

アメリカ大陸のインディアンの言語事情は複雑です。インディアンの諸言語は、互いの隔たりが非常に大きく、分類するのがなかなか困難です。インディアンの諸言語の中で名前が最もよく知られているのは、北米ではナバホ語、南米ではケチュア語あたりでしょうか。ちなみに、ナバホ語では水のことをtóと言い、ケチュア語では水のことをyakuヤクと言います。

本ブログの最初のほうで説明したように、筆者の言語の歴史の研究は、日本語とウラル語族の言語に共通語彙が見られることを不思議に思ったところから始まりました。その後、日本語には、ウラル語族との共通語彙のほかに、シナ・チベット語族、ベトナム系言語、タイ系言語から取り入れた語彙があること、そしてさらに、インド・ヨーロッパ語族、テュルク系言語、モンゴル系言語から取り入れた語彙があることが明らかになりました。日本語の複雑な歴史、インド・ヨーロッパ語族はこんなに近くまで来ていたの記事で、そのような構図を示しました。同記事で示した図は、春秋戦国時代に入る少し前の中国東海岸地域を念頭に置いています。しかしながら、研究を進める中で、上に列挙した言語群だけでは日本語の語彙を説明しきれないということも感じていました。今だから言えることですが、日本語の起源や歴史というのは、日本と近隣地域の言語だけを見て解き明かせる問題ではなかったのです。

筆者にとって大変気になったのは、出所不明の語彙がヨーロッパ方面から東アジア方面まで大きく広がっていることでした。すでに示したウラル語族のフィンランド語joki(川)ヨキ、ハンガリー語jó(川)ヨー、マンシ語jā(川)ヤー、ハンティ語joxan(川)ヨハンやフィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグ、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクなどは典型的な例です。ここに、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語ekuzi(飲む)、トカラ語yoktsi(飲む)や、古代中国語のyek(液)イエク、yowk(浴)イオウクなどを並べれば、明らかに「水」の存在が感じられます。水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語があったのではないかと考えたくなるところです。しかし、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語watar(水)、トカラ語war(水)も、ウラル語族のフィンランド語vesi(水)、ハンガリー語víz(水)ヴィーズも、古代中国語のsywij(水)シウイも、全く別物です。こうなると、水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語は違う言語群に存在し、その違う言語群がインド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、古代中国語に語彙を提供したと考えないと、つじつまが合いません。インド・ヨーロッパ語族のラテン語aqua(水)やウラル語族のハンティ語jiŋk(水)インクは、北ユーラシアに水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語が存在したことを裏づけています。ただし、気をつけなければならないのは、ラテン語aqua(水)はインド・ヨーロッパ語族では非標準的な語であり、ハンティ語jiŋk(水)もウラル語族では非標準的な語であるということです。水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語はインド・ヨーロッパ語族とウラル語族の外に存在していたのです。

このような例をいくつも見るうちに、筆者は、かつて北ユーラシアに広がっていた巨大な言語群の存在を意識するようになりました。どうしてそこから筆者の目がアメリカ大陸のインディアンのほうに向いたのかということですが、これは近年の考古学や生物学のめざましい発展・成果によるところが大です。筆者は普段から、考古学や生物学の研究に注意を払っています。言語だけ調べて遠い過去の歴史を明らかにできるとは思っていないからです。

DNAを調べたりする分子人類学などの動向を追っている方は、北ユーラシアとインディアンの間につながりがあることをご存知かもしれません。しかし、大半の方は、北ユーラシアとインディアンと言われてもピンとこないかと思います。アメリカ大陸のインディアンは、東アジア・東南アジアの人々とどこか似ていて、どこか違う感じがする、謎めいた存在でもあります。そのため、まずはアメリカ大陸のインディアンがどのような歴史を持っている人たちなのか、考古学と生物学によって明らかになってきたことを簡単に紹介することにします。その後で、インディアンの言語の話に入ります。

先ほど示したケチュア語のyaku(水)は、なんとも印象的です。北ユーラシアに関係のある語でしょうか。それとも偶然の一致・類似でしょうか。