現在の東南アジアはかつての東南アジアと大きく異なっている、いわゆる渡来人と縄文人について

人類の実際の歴史はとても複雑なので、少しずつ明らかにしていくしかありませんが、私たちは往々にして以下のように考えがちです。

「中国、朝鮮、日本の北のほうに目をやる。北のほうにはあのような人たちが住んでいる。かつても北のほうにはあのような人たちが住んでいたにちがいない。中国、朝鮮、日本の南のほうに目をやる。南のほうにはあのような人たちが住んでいる。かつても南のほうにはあのような人たちが住んでいたにちがいない。」

このような考えです。北のほうに関しても、南のほうに関しても、この考えは全然当たっていないようです。

すでにお話ししたように、中央アジアからやって来た人々と東南アジアからやって来た人々が東アジアで合流したことが明らかになってきました(図はGoebel 2007より引用)。

モンゴルのすぐ上のバイカル湖周辺に西洋風の人々が住んでいたという驚きの事実も浮かび上がってきました(農耕が始まる前のユーラシア大陸、バイカル湖周辺に住んでいた謎の西洋人を参照)。

北のほうに負けず劣らず、南のほうにも驚きの事実が隠されているようです。

現在、南のほうには、オーストロネシア語族の言語、ミャオ・ヤオ語族の言語、タイ・カダイ語族の言語(タイ系言語)、オーストロアジア語族の言語(ベトナム系言語)を話す人々が住んでいます。

これらの四つの語族は、南のほうで話されている言語ということでいっしょに考察されることもありましたが、ここではまず、最もよく研究されてきたオーストロネシア語族に注目しましょう(図はChambers 2021より引用)。

オーストロネシア語族は、台湾を起点として、南の島々に広がっていった言語群です。パプアニューギニアとオーストラリア(アボリジニ社会)を除くすべてを覆い尽くした感じです(オーストロネシア語族の人々は、ニュージーランドにも到達しましたが、のちにイギリス人が押し寄せてきたため、現在では少数派になっています。これが、マオリ族です)。オーストロネシア語族は、言語数の多さ、分布域の広さで際立っています。

オーストロネシア語族がここまで栄えたのは、なんといっても、古代中国の戦乱に巻き込まれなかったからです。古代中国は、4000年前頃から夏殷周を経て大戦乱の時代に突入していきますが、オーストロネシア語族の人々の祖先は、すでに5000年前頃に中国南東部から台湾に渡っており、戦乱の影響を全く受けていません(ミャオ・ヤオ語族の人々とタイ・カダイ語族の人々が壊滅的なダメージを受けたのとは対照的です)。

オーストロネシア語族の言語は、上の図からわかるように大変広く分布していますが、互いによく似ています。特に、台湾以外の言語は、非常によく似ています。オーストロネシア語族の言語がもともと台湾で話されていて、台湾で話されていた言語の一部が残りの地域に広がっていったことがわかります。

ここで注意しなければならないのは、オーストロネシア語族の言語を話す人々が中国南東部から南の島々に進出しようとする時に、すでに南の島々には原住民がいたということです。台湾にも、フィリピンにも、そしてインドネシアとマレーシアにも、古くからの原住民がいたのです。オーストロネシア語族の言語を話す人々は、中国南東部を離れた後、台湾の原住民、フィリピンの原住民、そしてインドネシアとマレーシアの原住民と混ざり合っていったということです。

科学技術の著しい進歩を受けて東南アジアの人々のDNAも盛んに調べられていますが、ここで興味深いことがわかりました。オーストロネシア語族の言語を話す人々は、中国南東部を離れて、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシアの原住民と混ざり合っていきましたが、これらの原住民と混ざり合っていない集団がわずかに残っているようなのです(Mörseburg 2016)。

原住民と混ざり合っていない「純粋な」集団として注目されているのが、フィリピン北部に住むイゴロット族です。どんな人たちなのでしょうか(画像はIgorotage様のウェブサイトより引用)。

中国人、朝鮮人、日本人をちょっと南国風にアレンジした感じですね(補説も参照)。

中国南東部から台湾に渡った人たちには、気になる点がありました。台湾とオーストロネシア語族の記事でお話ししたように、この人たちは、イネだけでなく、アワとキビも栽培していたのです。中国南部を流れる長江流域で栽培が始まったイネを栽培していたというのは、わかります。しかし、中国北部を流れる黄河流域で栽培が始まったアワとキビを栽培していたというのは、どういうことでしょうか。

ここから、L. Sagart氏らのように、山東省のあたりにいた人々が、中国東海岸沿いを南下し、福建省のあたりに辿り着き、そこから台湾に入ったのではないかという考えが出てくるわけです(図はSagart 2018より引用)。

最近のDNA研究によって、Sagart氏らが指摘した可能性が高まっています。Wei Lanhai氏らの研究とYu Huixin氏らの研究を紹介しましょう。

以前にお話ししたように、黄河流域・長江流域からの農耕の拡散に関与しているY染色体DNAのO系統は、以下のようになっています。

中国と東南アジアの男性のY染色体DNAの大部分はO系統なので、上の図のような大雑把な分類では、人の動きをよく追うことができません。各系統の下位系統まで細かく調べる必要があります。

Wei氏らの研究ですでに、O-M122の下位系統の一つであるO-N6がオーストロネシア語族の拡散に関係しているのではないかと指摘されていました(Wei 2017)。Yu 氏らの研究ではさらに、O-N6の分布の中心が山東省のあたりにあること、O-N6の下位系統の一つであるO-F706の分布の中心が山東省のあたりにあること、O-F706の下位系統の一つであるO-B451の分布の中心が山東省のあたりにあることを明らかにしました(Yu 2023)。

これは重要な成果です。上のような関係にあるので、O-N6よりO-F706は若く、O-F706よりO-B451は若いです。O-B451は、農耕が始まる1万年前頃よりちょっと前に山東省のあたりで誕生し、のちにオーストロネシア語族の拡散の主力になりました(より正確に言うと、O-B451の下位系統の一つであるO-AM01756が、オーストロネシア語族の拡散の主力になりました)。

山東省のあたりにいた人々が、中国東海岸沿いを南下し、福建省のあたりに辿り着き、そこから台湾に入ったのではないかというSagart氏らの予想は、的中したわけです。

O-M122の下位系統であるO-B451のほかに、O-M119の下位系統であるO-M110、O-F819、O-YP4610がオーストロネシア語族の拡散の主力になっていますが、これらは中国南部に分布していた系統です。

山東省のあたりにいた人々が南下して、中国南部にいた人々を取り込み、台湾に渡っていったというのが、オーストロネシア語族の起源なのです。

「南の島々の言語」というイメージがすっかり定着しているオーストロネシア語族が、実は北のほうから来ているというのは驚きです。

台湾から南の島々に人が広がっていく動きがあったのは確かです。オーストロネシア語族の拡散は言うまでもなく大きな出来事です。しかし、それだけでは、東南アジアの複雑な歴史を語り尽くすことは到底できません。

最近の考古学、生物学、人類学の研究によって、オーストロネシア語族の拡散以外にも、東南アジアで大きな出来事が起きていたことがわかってきました。

オーストロネシア語族の言語を話す人々は、中国南東部を離れた後、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシアの原住民と出会いましたが、それらの原住民はどんな人たちだったのかという問題があります。東南アジアの原住民だけに、重大な問題です。

現代の東アジアの人々のDNAは、遠く遡れば、大部分が東南アジアから来ているので、東南アジアに人類が現れてからなにが起きてきたのか知ることは非常に重要です。東南アジアの歴史がどこまでわかったのか、そしてなにがわかっていないのか、概観することにしましょう。

 

補説

いわゆる渡来人と縄文人について

1953年に、ワトソンとクリックがDNAの(二重らせん)構造を明らかにしましたが、これは、人類の歴史を考えるうえでまさに「革命」と呼べる出来事でした。

しかし、DNAを調べるのはそう容易ではなく、21世紀のはじめには、母から娘に代々伝えられるミトコンドリアDNAと、父から息子に代々伝えられるY染色体DNAを調べるのがやっとでした。

ところが、そこからの技術の進歩がすばらしく、今では人間のDNA全体を軽々と調べられるようになりました。

現代の日本人は、縄文時代から日本列島にいる人間なのか、弥生時代に日本列島に入ってきた人間なのか、それとも両者が混ざり合った人間なのかという論争がありましたが、この論争にも明確な答えが出ています(図はYamamoto 2024より引用、一部省略)。

※図中のBBJはBiobank Japan、EAはEast Asia、NEAはNortheast Asiaです。

現代の日本人のDNAにおいては、渡来人が縄文人を圧倒しています。縄文人のDNAが占める割合は、沖縄以外の日本人で10%ぐらい、沖縄の日本人で25%ぐらいになっています。以前に紹介したM. Robbeets氏ら(Robbeets 2021)のデータとも一致しており、完全と言ってよいでしょう。やはり、縄文時代から弥生時代への変化は、とても大きな変化だったのです。

(筆者は、画一的な印象を与えやすいので、「渡来人」と「縄文人」という言葉をあまり使いませんが、ここでは短く説明するために使用しました。)

 

参考文献

Chambers G.K. et al. 2021. Reconstruction of the Austronesian Diaspora in the era of genomics. Human Biology 92(4): 247-263.

Goebel T. 2007. The missing years for modern humans. Science 315(5809): 194-196.

Mörseburg A. et al. 2016. Multi-layered population structure in Island Southeast Asians. European Journal of Human Genetics 24(11): 1605-1611.

Robbeets M. et al. 2021. Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Nature 599(7886): 616-621.

Sagart L. et al. 2018. A northern Chinese origin of Austronesian agriculture: New evidence on traditional Formosan cereals. Rice 11(1): 57.

Wei L. et al. 2017. Phylogeography of Y-chromosome haplogroup O3a2b2-N6 reveals patrilineal traces of Austronesian populations on the eastern coastal regions of Asia. PLoS ONE 12(4): e0175080.

Yamamoto K. et al. 2024. Genetic legacy of ancient hunter-gatherer Jomon in Japanese populations. Nature Communications 15(1): 9780.

Yu H. et al. 2023. The formation of proto-austronesians: Insights from a revised phylogeography of the paternal founder lineage. Molecular Genetics and Genomics 298(6): 1301-1308.