かすかに浮かび上がる朝鮮語とアイヌ語の起源

前に英語のwater(水)、wet(濡れている)、ラテン語のaqua(水)、umidus(濡れている)という語を取り上げたことがありました。

ウラル語族のフィンランド語ではvesi(水)、märkä(濡れている)マルカと言い、ハンガリー語ではvíz(水)ヴィーズ、nedves(濡れている)と言います。

英語のwet(濡れている)がwater(水)と同源であることはお話ししました。ラテン語のumidus(濡れている)が古代北ユーラシアで水を意味したam-、um-、om-のような語から来ていることもお話ししました。では、フィンランド語のmärkä(濡れている)とハンガリー語のnedves(濡れている)はどうでしょうか。フィンランド語のmärkä(濡れている)とハンガリー語のnedves(濡れている)はウラル語族の標準的な語彙ではなく、古代北ユーラシアとの関係を考えなければなりません。

まずは、フィンランド語のmärkä(濡れている)について考察しましょう。古代北ユーラシアに水のことをmärkäのように言う言語があって、そこからフィンランド語のmärkä(濡れている)が来たという可能性はどうでしょうか。これはほぼ確実です。ウラル語族の語彙だけでなく、インド・ヨーロッパ語族の語彙も見ると、よくわかります。

皆さんもご存じのように、英語にはmarkという語があります。英語のmarkは、今では印(しるし)を意味していますが、もともと境界を意味していた語です。余白を意味したり、利ざやを意味したりしている英語のmarginは、端の部分や境界の部分を意味していたラテン語のmargoから来ています。

昨今の企業の統合・合併の話でよく出てくる英語のmergeも、水の中に入ることを意味したラテン語のmergereから来ています。水の中に入るところから、混ざるや融合するのような意味が生まれてくるわけです。ちなみに、ラテン語のmergereは水の中に入ること、emergereは水の中から出ることを意味し、後者は英語のemerge(現れる)になっています。なにかが現れること、特に突然現れることを意味するようになっていったのが英語emergent/emergencyです。

上記の英語のmarkやラテン語のmargoも怪しいですが、古英語mere(海)(この語は廃れましたが、ドイツ語のMeer(海)は健在です)、ラテン語mare(海)、ロシア語more(海)、リトアニア語marios(潟)なども怪しいです。

古代北ユーラシアに水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-のように言う言語群があったのではないか、さらに、連続するrとkのどちらかが脱落してmar-、mir-、mur-、mer-、mor-あるいはmak-、mik-、muk-、mek-、mok-のような形が生じていたのではないかと考えたくなります。フィンランド語のmärkä(濡れている)、meri(海)、mäki(丘)などは、まさにそのような例です(水・水域を意味していた語がその隣接部分、特に盛り上がり、坂、丘、山などを意味するようになるパターンを思い出してください)。

水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言う言語群は、ヨーロッパ方面から東アジア方面まで大きく広がっていたようです。東アジアの遼河流域のずっと北のほうには、以前にお話しした巨大なレナ川が流れています。レナ川にはたくさんの支流が流れ込んでおり、マルハ川(Markha River)と呼ばれる支流が二つあります。かつてレナ川流域に住んでいた人々が水または水域のことをmarkhaのように言っていたことが窺えます。

そして、なんといっても注目すべきなのは、モンゴル語mɵrɵn(川)ムルン、エヴェンキ語mū(水)ムー、ナナイ語mue(水)ムウ、満州語muke(水)ムク、朝鮮語mul(水)などの語が見られることです。朝鮮語のmulの古形はmɨrミルです。モンゴル語にはus(水)という語があり、モンゴル語mɵrɵn(川)は外来語と考えられますが、エヴェンキ語mū(水)、ナナイ語mue(水)、満州語muke(水)、朝鮮語mul(水)は外来語とは考えづらいです。かつて水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言う巨大な言語群が存在したが、その大部分は消滅し、一部がツングース諸語や朝鮮語として残ったのではないか、そんな展開が考えられます。

古代北ユーラシアに水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言う巨大な言語群が存在したことが明らかになってきましたが、これによって考えなければならない問題がいくつも出てきます。

現在ヨーロッパ方面から東アジア方面に残っている言語の語彙を分析する限り、かつて北ユーラシアに、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言う巨大な言語群、水のことをam-、um-、om-のように言う巨大な言語群、そして水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言う巨大な言語群が存在したと考えられます。しかし、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-という語形、am-、um-、om-という語形、そしてmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)という語形は、互いに大きく異なります。

国家や国境が幅を利かせている現代に生きる私たちは、以下のような単純な言語分布を考えがちです(左側がヨーロッパ方面で、右側が東アジア方面だと考えてください)。

しかし、このような単純な言語分布は、古代北ユーラシアの実情と合いません。水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた言語群も、水のことをam-、um-、om-のように言っていた言語群も、水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言っていた言語群も、ヨーロッパ方面と東アジア方面の双方に大きな跡を残しているからです。むしろ、以下のような言語分布になっていたのではないかと考えられるくらいです。

赤い糸、青い糸、黄色い糸があって、それらが複雑に絡み合っているような状態です。少なくとも、古代北ユーラシアの言語分布は先に示したような単純な言語分布ではなかったということです。このことは、人類の言語の歴史、そして一般に人類の歴史を考える際に頭に入れておかなければなりません。上の図の一番左で赤の言語を話している人々のDNAは、すぐそばで青の言語および黄色の言語を話している人々のDNAと比べてどうでしょうか。上の図の一番左で赤の言語を話している人々のDNAは、上の図の一番右で赤の言語を話している人々のDNAと比べてどうでしょうか。

水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言っていた言語群に関連する問題は様々ありますが、その中にアイヌ語の起源に関する問題もあります。水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言っていた言語群は、朝鮮語の起源だけでなく、アイヌ語の起源とも関係がありそうです。この興味深い話題についてお話しする前に、北ユーラシアの言語の歴史を考えるうえでどうしても外せないので、LとRの話をはさみます。日本人が英語などを学ぶ際によく問題となるLとRの話です。

新潟の「潟(かた)」に隠された歴史

水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた言語群、am-、um-、om-のように言っていた言語群、sam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群など、かつての日本語の周辺には、全然知られていない言語(もう今では残っていない言語)がたくさんありました。日本語の成り立ちを明らかにするためには、それらの言語を丁寧に掘り起こしていかなければなりません。

向き・方向を意味したsama(様)の語源が「水」であることはお話ししましたが、同じく向き・方向を意味したkata(方)の語源も「水」のようです。日本語のそばに、水のことをkataのように言う言語があったということです。

日本語には、水と関係の深いkata(潟)という語がありました。新潟などの地名に残っています。kata(潟)は、潮が満ちると隠れ、潮が引くと現れる場所(要するに海と陸の境のあたり)を意味することが多かったですが、海から少し陸に入ったところにできる湖を意味することもありました。

水を意味するkataのような語が存在したことは、上記のkata(潟)だけでなく、katasi(かたし)からも窺えます。水を意味できなくなったkataが、氷を意味しようとしたが、それも叶わず、katasi(かたし)になったと見られます。氷を意味していた語が冷たさ・寒さを意味するようになることはよくありますが、かたさを意味するようになることもよくあります。katikati(かちかち)、gatigati(がちがち)、gattiri(がっちり)、gassiri(がっしり)やgatan(がたん)、gatyan(がちゃん)、gatin(がちん)、gatun(がつん)など、同類がたくさんありそうです。

水を意味したkataは、samaと同じように向き・方向も意味するようになりました。向き・方向を意味していたsama(様)が状態を意味するようになった話を思い出してください。kata(方)もなにかが存在する様、そしてさらに、なにかが行われる様を意味するようになりました。こうして、「あり方、開け方、切り方」のような言い方が生まれます。水を意味する語から、方法を意味する語まで生まれるのです。

水を意味したkataは、多様な変化を経験したようです。水・水域を意味していた語が端の部分、境界の部分を意味するようになるのは、お決まりのパターンです。なにかの端の部分(ふち、へり、周縁部)を見てください。そこから「輪郭」のような意味が生まれそうではないでしょうか。これがkata(形)であったと思われます。kataの意味があまりに多様になってきたために、kata(形)からkatati(形)やsugata(姿)を作り出して区別しようとしたのかもしれません。

kataが水・水域に隣接する陸の部分を意味していたのであれば、この図のような状況もあったはずです。二つあるうちの一つを指すkata(片)は、ここから来ていると考えられます。kataɸara(傍)はもともと横腹・脇腹を意味していたので、kataは一方、横、脇などの意味を持っていたのでしょう。これでkatamuku(傾く)やkatayoru(偏る)も納得です。

※インド・ヨーロッパ語族にも、似た例があります。インド・ヨーロッパ語族には、二分されたうちの一方、つまり半分を意味するラテン語semi-や古代ギリシャ語hemi-のような語がありました(英語にもsam-という語がありましたが、廃れてしまいました)。前回の記事でお話しした大テュルク語族で水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語と関係がありそうです。

水を意味したkataのような語は、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語とも、am-、um-、om-のような語とも、sam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語とも明らかに違います。向き・方向を意味するsama(様)の話が出たので、ついでにkata(方)の話をしましたが、水のことをkataのように言う言語群以外にも、様々な言語群が存在したようです。日本語のまわりの言語の分布は非常に複雑だったということです。英語、中国語、ロシア語のような大言語は存在せず、小さな言語がひしめいていた時代の話です。現生人類は3~4万年前には北ユーラシア・東アジアに広く現れていますが、その当時の言語が互いに大きく異なっていた可能性もあります。

過去3~4万年間の北ユーラシア・東アジアの言語の歴史は、簡単には明らかにできません。まず重要なのは、特に有力であった言語群を浮かび上がらせながら、大ざっぱな全体像をつかみにいくことです。

水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言う言語群も、am-、um-、om-のように言う言語群も、sam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言語群も巨大な言語群だったと考えられますが、これらに全く劣らない別の巨大な言語群が存在したようです。タイミング的にちょうどよいので、この別の巨大な言語群の話をすることにします。この別の巨大な言語群は、色々と謎めいたところのある言語群です。朝鮮語やアイヌ語の起源に関わる話になります。

知られざる大テュルク語族?

水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群があり、この言語群から日本語に大量の語彙が入ったようだと述べました。水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群は一体どのような言語群だったのだろうと思いながら日本の周辺を見渡すと、アイヌ語wakka(水)、朝鮮語mul(水)、エヴェンキ語mū(水)ムー、ナナイ語mue(水)ムウ、満州語muke(水)ムク、モンゴル語us(水)などは明らかに違いますが(シベリアに少数民族の言語としてかろうじて残っているケット語ulj(水)ウリ、ユカギール語ōʒī(水)オージー、チュクチ語mimyl(水)ミムル、ニヴフ語tʃaχ(水)チャフなども明らかに違います)、テュルク諸語にはそれらしきところがあります。テュルク諸語では、「水」のことを以下のように言います。

テュルク諸語というのは、非常によく似た言語の集まりです。インド・ヨーロッパ語族の諸言語は大きな違いを見せ、ウラル語族の諸言語も大きな違いを見せますが、テュルク諸語にはそのような大きな違いは見られません。これは、テュルク祖語が比較的近い過去に存在し、そのテュルク祖語が枝分かれしてテュルク諸語ができたことを物語っています。

そんな似たもの同士のテュルク諸語ですが、チュヴァシ語はその語彙全体からして他のテュルク系言語とはやや遠い関係にあると考えられています。チュヴァシ語は、ウラル山脈の南西のあたりで話されています。テュルク諸語を見る時には、「チュヴァシ語」と「その他のテュルク系言語」という見方をする必要があるということです。

テュルク祖語では、水のことをチュヴァシ語şɯvシュヴあるいはウズベク語suvのように言っていたと考えられます。子音vはヨーロッパでは一般的ですが、北ユーラシア全体ではあまり一般的でないので、末尾のvの部分はwかbだったかもしれません。

すでに「心(こころ)」の語源の記事などで、テュルク系言語がかつて東アジア(中国東海岸近く)にも存在し、日本語に影響を与えたと見られることをお話ししました。しかし、ここには大いに考えるべき問題があります。上の表に示したテュルク諸語の「水」を見てください。言語によって語形が少しずつ違いますが、そのバリエーションは乏しいです。このような乏しいバリエーションからは、日本語のsama(様)、samu(冷む)、samu(覚む、醒む)、zabuzabu(ざぶざぶ)、sima(島)、siba(芝)、sumu(澄む)、zubuzubu(ずぶずぶ)、somu(染む)、soba(そば)などの多様な語形は生まれそうにありません。これはどのように考えたらよいのでしょうか。テュルク諸語が非常に似通っていることを考慮すると、以下のようなシナリオが浮上してきます。

(1)かつて水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言う巨大な言語群が存在した。

(2)この巨大な言語群は日本語との付き合いが深く、日本語に大きな影響を与えた。

(3)この巨大な言語群は激しい生き残り競争の中で大部分が消滅し、一部がテュルク諸語として残った。

こう考えると、つじつまが合います。

※(1)の水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた巨大な言語群の内部は多様で、mの部分がbになったり、pになったりしていたと見られます。*sapaがsaɸa(沢)(地方によって、「水が浅く溜まって草が生えているところ、湿地」を意味したり、「谷川、渓流」を意味したりします)になったり、*sipoがsiɸo(潮、塩)(潮は海水のこと)になったりしたのでしょう。日本語のsaɸayaka(爽やか)、sappari(さっぱり)、sabasaba(さばさば)は、語源がとてもわかりづらいですが、もともと透明感あるいは清涼感を意味し、「水」から来ているのかもしれません(samu(冷む)、samu(覚む、醒む)、sumu(澄む)、sumiyaka(澄みやか)などが「水」から来ていたことを思い出してください)。濡れていることを意味するsippori(しっぽり)は、「水」から来ているにちがいありません。

テュルク系言語は、モンゴル系言語・ツングース系言語と系統関係があるのではないかというアルタイ語族仮説の一部として論じられることが多かったですが、そうではなく、テュルク系言語は、すでに消滅してしまった言語と大語族を成していた可能性が高いです。テュルク系言語を含む巨大な言語群で水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語(場合によってmの部分はb、p、wなど)は、モンゴル系言語・ツングース系言語の「水」(モンゴル語us(水)、エヴェンキ語mū(水)ムー、ナナイ語mue(水)ムウ、満州語muke(水)ムクなど)に似ておらず、むしろシナ・チベット語族の「水」(古代中国語sywij(水)シウイ、ペー語ɕui(水)シュイ、チベット語chu(水)チュ、ガロ語chi(水)、ミゾ語tui(水)など)に似ているぐらいです。もちろん、このようなわずかなデータから確かなことは言えませんが、テュルク系言語はモンゴル系言語・ツングース系言語とは大きく隔たっていそうです。

※水を意味していた語が水以外の液体(血、汗、涙、唾液、尿などを含めて)を意味するようになるケースは非常に多く、シナ・チベット語族の言語で水を意味していた語が日本語のti(血)になった可能性があります。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)では、奈良時代の日本語にti(血)のほかにtu(血)という形が見られたことを指摘していますが、ti(血)もtu(血)もシナ・チベット語族の語形とよく合います。

歴史言語学の歩みを振り返ってみると、アルタイ語族仮説などが典型的ですが、現在残っている言語同士を結びつけようと焦りすぎた感があります。消滅した言語についての考察が欠けていたのです。消滅した言語について考察することは不可能なのかというと、そんなことはありません。消滅した言語は、生き残る言語に大量または少量の語彙を与えて消滅していったのです。したがって、現在残っている言語を隅々まで調べることによって、消滅した言語について考察することがある程度可能です。消滅した言語について考察する作業は、この後ますます重要になってきます。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。