中国語はなぜ大言語になったのか?

かつて北ユーラシアに巨大な言語群が存在し、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていたようだとお話ししました。その影響は、インド・ヨーロッパ語族とウラル語族だけでなく、東アジアの言語にも広く現れています。

ウラル語族のフィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグ、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクなどは、上記の巨大な言語群の「水」から来ていると見られますが、日本語yuki(雪)、エヴェンキ語djuke(氷)デュケ、モンゴル語tsas(雪)ツァスなども、上記の巨大な言語群の「水」から来ていると見られます。

ヨーロッパの人たちが日本のことを「ジャパン」と言ったり、「ヤパン」と言ったりしていますが、「ヤ、ユ、ヨ」の類は「ジャ、ジュ、ジョ」の類あるいは「ヂャ、ヂュ、ヂョ」の類と交代しやすいです。そして、「ジャ、ジュ、ジョ」の類は「シャ、シュ、ショ」の類と、「ヂャ、ヂュ、ヂョ」の類は「チャ、チュ、チョ」の類と密接につながっています。モンゴル語のtsas(雪)ツァスは、大変わかりにくくなっていますが、モンゴル諸語全体を見渡す限り、*tʃaksu(n)チャクス(ン)のような形から現在の形に至っており、語頭の子音がj→tʃ→tsと変化してきたと考えられます(jは日本語のヤ行の子音です)。

フィンランド語jää(氷)、ハンガリー語jég(氷)、マンシ語jāŋk(氷)、ハンティ語jeŋk(氷)、日本語yuki(雪)、エヴェンキ語djuke(氷)、モンゴル語tsas(雪)などはすべて、かつて北ユーラシアに存在した巨大な言語群の「水」から来ていると見られます。「水」を意味していた語が「氷」または「雪」を意味するようになったのです。

「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・の記事で、ウラル語族で水のことをなんと言っているか示しましたが、サーミ語čáhci(水)チャフツィとハンティ語jiŋk(水)インクだけが例外的でした。上のモンゴル語の例を見た後であればわかると思いますが、サーミ語čáhci(水)の頭子音č(発音記号では[tʃ])ももともとjであった可能性が高いです。サーミ語čáhci(水)は、ウラル語族がヨーロッパの最北部に到達した時にそこの先住民が使っていたと考えられる語彙です。サーミ語čáhci(水)チャフツィの形は、モンゴル語*tʃaksu(n)(雪)チャクス(ン)とよく似ていますが、ニヴフ語tʃaχ(水)チャフなども思い起こさせます。古代北ユーラシアの巨大な言語群がヨーロッパの奥地まで広がっていたことを示唆しています。

このように、古代北ユーラシアの巨大な言語群の影響は東アジアの言語にも及んでいますが、とりわけ興味深いのは、その影響が特に中国語に及んでいると見られることです。例えば、古代中国語には以下のような語彙がありました。

yek(液)イエク
yowk(浴)イオウク

ウラル語族のフィンランド語joki(川)ヨキ、ハンガリー語jó(川)ヨー、マンシ語jā(川)ヤー、ハンティ語joxan(川)ヨハンやフィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグ、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクなどの例があるので、以下のような語彙も無視できません。

yang(洋)イアン
yowng(湧)イオウン
yowng(溶)イオウン

いずれも、水に関係のあるなにかを意味していますが、水そのものを意味しているわけではありません。形が明らかにsywij(水)シウイとは違います。

※日本語のwaku(湧く)は、アイヌ語のwakka(水)のような語から来たものでしょう。waku(沸く)やwakuwaku(ワクワク)にもつながります。tokeru(溶ける)の古形のtoku(溶く)は、ベトナム系言語のベトナム語nước(水)ヌー(ク)、クメール語tɨk(水)トゥ(ク)、モン語daik(水)ダイ(ク)の類から来たと見られます。tukeru(漬ける)やtukaru(浸かる)も同じところから来ていると思われます。

ひょっとして中国語は外来語をたくさん含んでいる言語なのかと考えたくなります。確かに、殷の中国語は圧倒的に豊富な語彙を持ち、殷以降の中国語は他言語に語彙を与える立場でした。しかし、それはあくまで殷以降の中国語の姿であり、殷より前の中国語がそうであったとは限りません(現在世界で最も有力な英語も、かつてはラテン語とその後継言語であるフランス語から大量の語彙をもらう立場でした。そのラテン語自体も、かつては他言語から大量の語彙をもらっていたかもしれないのです)。威風堂々たる中国語を前にして、言語学者は恐れ入ってしまい、実は中国語には外来語が多いのではないかという可能性は積極的に追及されてきませんでした。

圧倒的に豊富な語彙を持つ殷の中国語の成立過程は謎に包まれています。黄河文明の領域は広く、黄河文明の言語はいくつもありました。長江文明の言語だって、遼河文明の言語だってありました。そのような中で、なぜ中国語が大言語になったのでしょうか。もちろん、これは中国語の問題というより、中国語が話されていた地域・社会の問題、中国語を話していた人々の問題です。中国語が大言語になる特別な要因があったはずです。その特別な要因とはなんだったのでしょうか。

語られなかった真実、ラテン語のaqua(水)は外来語だった

古代北ユーラシアに広がっていた謎の巨大な言語群の正体を明らかにするために、まずは「水」を意味する語に注目しましょう。「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・の記事で見たように、「水」を意味する語は変わりにくいからです。しかし、それだけではありません。「水」を意味していた語に意味の変化が生じる場合でも、その意味の変化には明確なパターンがあるのです。地球規模で人類の言語の歴史を考える時には、「水」を意味する語が大きな手がかりになります。

タイ系言語のタイ語naam(水)の類が日本語のnama(生)、nami(波)、numa(沼)、nomu(飲む)になったと見られることはすでにお話ししました(不思議な言語群および「言(こと)」と「事(こと)」の関係を参照)。どれもよくあるパターンです。

nama(生)は、「水」を意味していた語が「濡れること、濡れていること」を意味するようになるパターンです。焼いたり、干したりしておらず、水っぽい状態をnama(生)と言っていたのです。

nami(波)とnuma(沼)は、「水」を意味していた語が「水域(川、海、湖、沼など)」を意味するようになるパターンです。「水」を意味していた語が「海」を意味するようになることは非常に多いですが、「海」は他の語に占められて、「波」を意味するようになることも結構あります。ツングース諸語でエヴェンキ語lāmu(海)、ナナイ語namo(海)、満州語namu(海)、日本語でnami(波)になっているのは、そのような事情によります。

関連する話として、nureru(濡れる)の語源を補説に記しました。

nomu(飲む)は、「水」を意味していた語が「飲むこと」を意味するようになるパターンです。タイ系言語の「水」から日本語の「飲む」が生まれたのです。

ここで、インド・ヨーロッパ語族の「水」に目を転じましょう。インド・ヨーロッパ語族には、ヒッタイト語watar(水)、トカラ語war(水)、ロシア語voda(水)、英語water(水)のような語が広く見られます。しかし、ラテン語ではaqua(水)です。当然、インド・ヨーロッパ語族の研究者らは、なぜラテン語では全然違う言い方をしているのだろうと考えました。しかし、いくつかの説明が試みられたものの、ラテン語のaqua(水)が外来語であるという可能性は検討されませんでした。

ラテン語のaqua(水)は、ヒッタイト語ekuzi(飲む)やトカラ語yoktsi(飲む)と同源と考えられるので、もともとインド・ヨーロッパ語族にあったものとみなされてきたのは無理もありません。ちなみに、英語にはかつてea(川、流れ)という語がありました。この語は、同じゲルマン系のドイツ語aha、ゴート語ahuaなどと同源です。ロシア語にはそれらしき語が見当たりません。少し怪しい感じのするラテン語のaqua(水)ですが、視野をインド・ヨーロッパ語族の外にまで広げると、その怪しさが一気に増します。

例えば、ウラル語族では、フィンランド語joki(川)ヨキ、エストニア語jõgi(川)ユギ、ハンガリー語jó(川)ヨー(現在では廃れ、地名に残っているだけです)、マンシ語jā(川)ヤー、ハンティ語joxan(川)ヨハン、ネネツ語jaxa(川)ヤハのような語がウラル語族全体に広がっています。

フィン・ウゴル系に限られますが、フィンランド語jää(氷)ヤー、エストニア語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグ、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクのような語も見られます。

そしてさらに、「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・の記事で示しましたが、ハンティ語では水のことをjiŋkインクと言います。ウラル語族のほぼすべての言語がウラル祖語の時代から「水」を意味する語を変えていないのに、ハンティ語ではjiŋk(水)と言うようになったのです。

※筆者はマンシ語jāŋk(氷)、ハンティ語jeŋk(氷)およびjiŋk(水)などのŋは後から挿入されたものと考えていますが、これについては別のところで論じます。

ウラル語族の水に関係する語彙には、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語根の存在が感じられます。しかしながら、そのような語根から生まれたと見られる語は、水に関係のあるなにかを意味しているが、水そのものを意味しているわけではないのです。

インド・ヨーロッパ語族でも、先頭のjが大々的に脱落してはいますが、ウラル語族とほぼ同じ傾向が認められます。水に関係のあるなにかを意味しているが、水そのものを意味しているわけではないというのは、重要なポイントです(ラテン語aqua(水)やハンティ語jiŋk(水)は例外的です)。インド・ヨーロッパ語族とウラル語族のまわりで話されていた言語群の「水」がインド・ヨーロッパ語族とウラル語族に入ったことを強く思わせるからです。その言語群の「水」は、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような形をしていたのではないかということです。

上に挙げたインド・ヨーロッパ語族とウラル語族の語彙を見ると、形と意味のばらつきが著しいです。かつて北ユーラシアに巨大な言語群が存在して、その各言語に「水」が少しずつ異なる形で分布し、それらの「水」がインド・ヨーロッパ語族とウラル語族にどっと入ったと考えると合点がいきますが、果たしてどうでしょうか。

 

補説

nureru(濡れる)の語源

nureru(濡れる)の古形はnuru(濡る)です。

タイ系言語のタイ語naam(水)の類は、numa(沼)という形でも日本語に入ったようだと述べました。奈良時代の時点では、nu(沼)という形とnuma(沼)という形がありました。日本語ではnumという形が許されないので、子音を落としてnuにしたり、母音を補ってnumaにしていたと考えられます。

nuとnumaも最初は「水」を意味しようとしたが、それが叶わず、最終的に「沼」という意味に落ち着いたと見られます。このnuとnumaから、nuru(濡る)、nurunuru(ぬるぬる)、numenume(ぬめぬめ)、numeru(滑る)なども生まれたと考えられます。

下二段活用で自動詞だったnuru(濡る)と四段活用で他動詞だったnuru(塗る)も同源でしょう。

古代北ユーラシアの巨大な言語群、謎めくツングース諸語とモンゴル語

かつて北ユーラシアに足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言う大きな言語群が存在し、この言語群がインド・ヨーロッパ語族の言語とウラル語族の言語に影響を与えたようだとお話ししました。古代中国語kjak(腳)キアク、モンゴル語xөl(足、脚)フル(古形はkölコル)、エヴェンキ語xalgan(足、脚)ハルガンは確かに上記の「kalk、kulk、kolk」を思わせます。エヴェンキ語はツングース諸語の一つですが、ツングース諸語ではエヴェンキ語xalgan(足、脚)、ナナイ語palgan(足首から下の部分)、満州語xolxon(膝から足首までの部分)ホルホンのようになっています。足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言っていた言語群の問題は、非常に大きな問題なのです。

上にツングース系言語のエヴェンキ語xalgan(足、脚)、ナナイ語palgan(足首から下の部分)、満州語xolxon(膝から足首までの部分)という語を挙げましたが、ここに発音に関する重要な問題が含まれているので、少し立ち止まって説明することにします。これを知らないと東アジアの言語の歴史は解明できないというぐらい重要なので、注意を傾けてください。子音k、x、hの三者間は、発音が変わりやすいところです(子音xについては、「深い」と「浅い」の語源の補説で説明しました)。したがって、ナナイ語のpalganがkalgan、xalganあるいはhalganだったらよくあるパターンだったのですが、実際にはpalganです。

説明のために、まず英語の子音を示します。現代の言語学では、以下のような表にして示すのが一般的です。

※wは有声両唇軟口蓋接近音と呼ばれる子音で、唇のところと軟口蓋のところの二箇所を使って作り出されるのが特徴です。口の中の天井の固い部分が硬口蓋で、その奥の柔らかい部分が軟口蓋です。上の表では便宜上、両唇軟口蓋音を両唇音の隣に配置してあります。

表中の「両唇音~声門音」は、子音をどこで作り出すかという位置を示し、「破裂音~側面接近音」は、子音をどのように作り出すかという方法を示しています。口の先の部分(前方部分)を使って作り出す音を赤で塗りつぶし、口の奥の部分(後方部分)を使って作り出す音を青で塗りつぶしました。上のような表を見ると、口の先の部分で作り出す赤い領域の子音と口の奥の部分で作り出す青い領域の子音は両極にあって、全然違うものに見えます。しかし実は、赤い領域の子音が青い領域の子音に変化すること、あるいは青い領域の子音が赤い領域の子音に変化することは結構あるのです。

例えば、日本語のハ行の子音はp→ɸ→hと変化してきました。pは無声両唇破裂音、ɸは英語にはありませんが無声両唇摩擦音、hは無声声門摩擦音です。p→ɸは赤い領域内での変化ですが、ɸ→hは赤い領域から青い領域への変化です。

逆に、青い領域から赤い領域への変化もあります。例えば、日本語のhosi(星)について考えましょう。hosi(星)は*posi→ɸosi→hosiと変化してきたと推定される語です。推定古形の*posi(星)はずっと前からこの形だったのでしょうか。どうやら違うようです。古ハンガリー語húgy(星)フージ、モンゴル語od(星)(古形はxodunホドゥン)、エヴェンキ語ōsīkta(星)、ナナイ語xosikta(星)ホスィクタ、満州語usixa(星)ウスィハなどの語が見られるので、古代日本語の*posi(星)のもとになった語ではpはhかxのような音であったと考えられます。hは無声声門摩擦音、xは無声軟口蓋摩擦音です。青い領域の子音が赤い領域の子音になったのです。

※上記の語はいずれも、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語hašterz(星)、古代ギリシャ語aster(星)、英語star(星)の類となんらかの関係があるかもしれません。

なぜ赤い領域の子音が(間を飛ばして)青い領域の子音になったり、青い領域の子音が(間を飛ばして)赤い領域の子音になったりするのでしょうか。赤い領域と青い領域の間にある白い領域の子音を見ると、舌の先を使って作り出す子音ばかりです。つまり、赤い領域の子音と青い領域の子音には、舌の先を使わないで作り出すという共通点があるのです。この共通点があるために、赤い領域の子音が青い領域の子音になったり、青い領域の子音が赤い領域の子音になったりすることが時々起きていると思われます。

先に挙げたツングース系言語のエヴェンキ語xalgan(足、脚)、ナナイ語palgan(足首から下の部分)、満州語xolxon(膝から足首までの部分)もその一例です。口の先の部分で作られていた子音が口の奥の部分で作られる子音に変化すること、あるいは口の奥の部分で作られていた子音が口の先の部分で作られる子音に変化することは時々あるので、注意が必要です。日本の言語学者はɸ→hというハ行の変化を目の当たりにしているので下線部のことをすんなり受け入れられますが、欧米の言語学者、特にインド・ヨーロッパ語族の研究者は下線部のことをなかなか受け入れられないのです(まずkwやgwのような子音があって、これが口の先の部分で作られる子音になったり、口の奥の部分で作られる子音になったりしたのだという説明ですべてを片づけようとしてきたためです)。しかし、下線部のような現象は北ユーラシアで結構起きており、そのことは人類の言語の歴史を研究するうえで知っておかなければなりません(日本人は普段から「は(ha)」、「ば(ba)」、「ぱ(pa)」と書いているので、下線部のことに対して違和感を抱かないと思います)。

また、日本語のハ行の子音がp→ɸ→hと変化してきたことは定説になっていますが、古代日本語のpには、もともとpであったものと、hやxから変換されたものがあるということも頭に入れておかなければなりません。

発音の話は無味乾燥な感じがしますが、これを疎かにすると言語の歴史の研究が成り立たないので、要点を押さえておいてください。

竪穴式住居を抜きにして人類の歴史は語れないの記事、そして今回の記事と、かつて北ユーラシアに存在した巨大な言語群の姿が浮かび上がってきました。ヨーロッパ方面の言語からも、東アジア方面の言語からも、その姿が垣間見えます。謎の巨大な言語群の正体はなんなのか、およその見当をつける作業に入りましょう。