春秋戦国時代が終わり、秦・漢の時代へ(7)

シナ・チベット語族で「ぬし、所有者、支配者」を意味している語を調べることにした筆者は、この時すでに、日本語の男と女に関する語彙の大部分は古代中国語から来たものではないかと予想していました。

奈良時代には、me(女)という語が広く使われていました。奈良時代の日本語にエ列の音が少ないことは前にお話ししました。奈良時代の日本語のエ列にはエ列甲類とエ列乙類という微妙に異なる二つの列があり、奈良時代の日本語のme(女)はエ列甲類の音で、me(目)はエ列乙類の音です。

me(目)という語は、組み込まれたmaという形があり、日本語にエ列がなかった時代には*ma(目)として存在していただろうと考えられますが、me(女)という語は、そのような形がなく、日本語にエ列がなかった時代にはそもそも存在していなかったのではないかと考えられます。me(目)に比べて、me(女)は歴史が浅いということです。

日本語のne(音)は古代中国語以外のシナ・チベット系言語から来たと見られる語で(日本語を改造したのはだれか?を参照)、te(手)はベトナム系言語から来たと見られる語です(「背」の語源を参照)。そのne(音)にも組み込まれたnaという形があり(naru(鳴る)、naku(鳴く)など)、te(手)にも組み込まれたtaという形があります(tanagokoro(掌)、taduna(手綱)など)。ne(音)やte(手)と比べても、me(女)は歴史が浅そうです。

me(女)が比較的新しいということは、wotomeという語も新しいということです。wotokoという語だけが長い間存在し、その後でようやくwotomeという語ができたというのは、ちょっと考えづらいです。ということは、wotokoという語も新しいということです。

日本の奈良時代は、都が平城京に移されたAD710年から始まりました。それより少し前の時代に古代中国語が日本語に語彙を与えることはできますが、その時代に古代中国語以外のシナ・チベット系言語が日本語に語彙を与えるのは無理があります。春秋戦国時代までは、中国東海岸に近い地域に古代中国語以外のシナ・チベット系言語が存在する余地がありましたが、秦・漢の時代以降(BC221年~)は、そのような余地がなくなります。古代中国語以外のシナ・チベット系言語と日本語の接触が考えられそうなのは、春秋戦国時代までなのです。シナ・チベット語族からの外来語で、取り入れられた時期が奈良時代より少し昔となれば、出所はおのずと古代中国語に限られてきます。

今思えば、古代中国語に注目したこと自体は間違っていなかったのですが、筆者は古代中国語のnom(男)やbju(父)ビウのような語彙にずっと目を奪われていたので、日本語のwotokoやtitiを古代中国語に結びつけることができませんでした。転機となったのは、すでにお話ししたウラル語族のフィンランド語のisäイサのような語に関する考察で、ここで初めて、古代の人々が「ぬし、所有者、支配者」を意味する語を祖父、父、その他の年長者に対して使っていたことを知りました。そうして、最終的に、古代中国語のkjun(君)キウン、kuwng(公)クウン、hjwang(王)ヒウアン、tsyu(主)チウが日本語の語彙形成に大きく関わったことを知ったのです。

日本語の男と女に関する語彙について論じてきましたが、突っ込まずに放置した語があります。それはɸaɸa(母)です。日本語に古くからあったと見られるomo(母)に取って代わったɸaɸa(母)です。omotiti(母父)という言い方がtitiɸaɸa(父母)という言い方になったのも、大きな変化を印象づけます。奈良時代の日本語では「titi、oɸodi、wodi」と「ɸaɸa、oɸoba、woba」がきれいに対になっており、前の三語だけでなく、後の三語も古代中国語由来と考えられます(言うまでもなく、前の三語は現代のtiti(父)、ozīsan/ozītyan(おじいさん、おじいちゃん)、ozisan/ozityan(おじさん、おじちゃん)などにつながる語であり、後の三語は現代のhaha(母)、obāsan/obātyan(おばあさん、おばあちゃん)、obasan/obatyan(おばさん、おばちゃん)などにつながる語です)。

奈良時代の時点ではもう存在が確認できませんが、titi、oɸodi、wodiのもとになったtiという語(男の年長者に対して使う)が存在したように、ɸaɸa、oɸoba、wobaのもとになった*ɸaあるいは*paという語が存在したと思われます。もともと、祖父、父、その他の男の年長者に対してtiと言い、祖母、母、その他の女の年長者に対して*ɸaあるいは*paと言っていたのだろうということです。

titi(父)の語源もそうでしたが、ɸaɸa(母)の語源を明らかにするのは容易ではありません。まずなによりも、古代の人々の習慣や感覚を理解しようと努めなければなりません。それでは、ɸaɸa(母)の語源についてお話ししましょう。

 

補説

「窓」の語源

me(目)がmaという形で組み込まれている語として、manako(まなこ)やmatuge(まつげ)はわかりやすいと思います。ここに出てくる「な」と「つ」は、「の」と同じような働きをしていた助詞です。

me(目)がmaという形で組み込まれている語はほかにもあり、mado(窓)もその一つです。戸は人が出たり入ったりするところですが、窓はせいぜいそこから覗くくらいです。そこで、ma(目)+to(戸)=mado(窓)です。

世界の言語を見渡すと、「窓」を意味する語は、「目」か「風」に関係していることが多いです。英語のwindow(窓)は古ノルド語のvindauga(窓)から来ており、vindの部分は「風」、augaの部分は「目」を意味しています(古ノルド語はアイスランド語、ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語などの前身です)。

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モンゴル語や満州語からのヒント(6)

まずは、本題に入る前の準備をしましょう。

前に、ca、ci、cu、ce、coは、ラテン語では「カ、キ、ク、ケ、コ」だったが、イタリア語では「カ、チ、ク、チェ、コ」になったという話をしました。同じように、ga、gi、gu、ge、goは、ラテン語では「ガ、ギ、グ、ゲ、ゴ」でしたが、イタリア語では「ガ、ヂ、グ、ヂェ、ゴ」になりました。

※ca、ci、cu、ce、coおよびga、gi、gu、ge、goと並べたのは、あくまでも説明のためです。ラテン語も、イタリア語も、このような並べ方はしません。

ラテン語とイタリア語の例に限らず、人類の言語には、以下のような変化がよく見られます。

ki(キ) → tʃi(チ)またはʃi(シ)
ke(ケ) → tʃe(チェ)またはʃe(シェ)
gi(ギ) → dʒi(ヂ)またはʒi(ジ)
ge(ゲ) → dʒe(ヂェ)またはʒe(ジェ)

ここでは[ʃ]、[tʃ]、[ʒ]、[dʒ]と記しますが、厳密にこれらの子音に限定しているわけではなく、よく似た子音がいくつもある中で、[ʃ]、[tʃ]、[ʒ]、[dʒ]に代表させていると解釈してください(ここではこだわる必要はありませんが、言語学で英語などを記述する際に使われる[ʃ、tʃ、ʒ、dʒ]と日本語などを記述する際に使われる[ɕ、tɕ、ʑ、dʑ]の違いが知りたい方は、補説を参照してください)。

例えば、eikenという語があったら、eitʃenエイチェン、eiʃenエイシェン、etʃenエチェン、eʃenエシェン、itʃenイチェン、iʃenイシェンのように変化しやすいということです。同じように、eigenという語があったら、eidʒenエイヂェン、eiʒenエイジェン、edʒenエヂェン、eʒenエジェン、idʒenイヂェン、iʒenイジェンのように変化しやすいということです。このことを頭に入れて、以下を読んでください。

それでは、本題に入ります。

モンゴル語のezenと満州語のeigen

ウラル語族の人々は、祖父、父、その他の年長者のことをフィンランド語のisäイサのように呼んでいたようだと話しました。このフィンランド語のisäのような語はなにを意味していたのだろうと思いつつ、遼河流域周辺から北ユーラシアの言語を見渡すと、関係のありそうな語があちこちに見られます。

筆者の目を最初に引いたのは、モンゴル語のezenと満州語のeigenでした(満州語はもう話者がほとんどおらず、消滅寸前の状態です。満州語に極めて近いシベ語は、中国の新疆ウイグル自治区で存続しています)。モンゴル語のezenと満州語のeigenは慣習にしたがった表記ですが、現在の発音はそれぞれ「イツェン」と「ウイクン」に近いです。モンゴル語のezenは「ぬし、所有者、支配者」という意味で、満州語のeigenは「夫」という意味です(日本語で「主人」と「夫」が似たような使われ方をすることを思い出してください)。形はかなり崩れていますが、満州語と同じツングース系のエヴェンキ語にもedy(夫)ウディ、ナナイ語にもedi(夫)ウヂという語があります(kiがtʃi/ʃiに変わりやすいこと、giがdʒi/ʒiに変わりやすいことに注意してください)。

目のつけどころは悪くなさそうだと思いながら、目を中央アジアのほうに移すと、インド・ヨーロッパ語族のサンスクリット語īśa(ぬし、所有者、支配者、夫)イーシャ、テュルク諸語のカザフ語iye、キルギス語ee、ウズベク語ega、トルクメン語eyeエイェ(いずれも「ぬし、所有者、支配者」を意味し、ウズベク語以外では、子音gが変化したり、消失したりしています)、ウラル語族のハンティ語iki(夫)、マンシ語ōjka(夫)オーイカのような語が見られます。ハンティ語のiki(夫)とマンシ語のōjka(夫)はウラル語族の標準的な語彙ではなく、外来語と考えられますが、いずれにせよ満州語のeigen(夫)に似た語が北ユーラシアに広がっています。出所はどこかという問題はともかく、上記のような語彙が北ユーラシアに広く認められるのは確かです。keがtʃe/ʃeに変わりやすいこと、geがdʒe/ʒeに変わりやすいことを考慮に入れれば、上記の各語はよく結びつきます。

このような観察から、筆者は、ウラル語族の人々が祖父、父、その他の年長者に対して広く使っていたフィンランド語のisäのような語はもともと「ぬし、所有者、支配者」を意味していたようだという考えに至りました。「ぬし、所有者、支配者」を意味する語を祖父、父、その他の年長者に対して使うという古代の習慣を垣間見た筆者は、シナ・チベット語族で「ぬし、所有者、支配者」を意味している語を調べることにしました。

 

補説

[ʃ]と[ɕ]の違い

[ʃ]と[ɕ]の違いがわかれば、[ʃ、tʃ、ʒ、dʒ]と[ɕ、tɕ、ʑ、dʑ]の違いは理解できるので、ここでは[ʃ]と[ɕ]の違いを説明します。

日本語の「シャ、シュ、ショ」を記述する時に用いられるのが、[ɕ]という記号です。「チャ、チュ、チョ」には[tɕ]、「ジャ、ジュ、ジョ」には[ʑ]、「ヂャ、ヂュ、ヂョ」には[dʑ]が用いられます(現代の日本語では、「ヂャ、ヂュ、ヂョ」は「ジャ、ジュ、ジョ」に同化して消滅しています)。

以下の図は、人間の口の中を横から見たところです(図はWikipediaより引用)。

3が上の歯で、4と5の間の出っぱりは歯槽堤(しそうてい)と呼ばれます。

[ʃ]は無声後部歯茎摩擦音と呼ばれる子音で、[ɕ]は無声歯茎硬口蓋摩擦音と呼ばれる子音です。はっきり言って、両者はほぼ同じに聞こえます。[ʃa]も、[ɕa]も、カタカナで書けば「シャ」です。

[ʃa]も、[ɕa]も、舌と口の中の上部を使って発音しますが、端的に言えば、[ʃa]と発音する時には、舌先を5と6の間に持っていってピンポイントな感じで発音します。これに対して、[ɕa]と発音する時には、4から7のあたりを幅広く使って発音します。特に出っぱりの後方の使い方が控えめか大々的かというところに違いがあります。

これが[ʃ]と[ɕ]の違いであり、同様のことが[ʃ、tʃ、ʒ、dʒ]と[ɕ、tɕ、ʑ、dʑ]についても言えます。

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複雑な母と女の間(5)

ウラル語族では、*najVのような語が「女」を意味していたようだとお話ししました。「女」を意味する語も重要ですが、「母」を意味する語も重要です。

現代のフィンランド語ではäitiアイティが「母」を意味していますが、この語はインド・ヨーロッパ語族からの外来語です。もともと「母」を意味していたのは、emäエマです。emäは今でも残っていますが、「動物の母親」を意味するだけになっています。フィンランド語のemäと同源の語も、ウラル語族全体に分布しています。

フィンランド語のemä(動物の母親)に対応するのは、エストニア語ではema(母)、ハンガリー語ではember(人)のemの部分、ネネツ語ではnjebja(母)ニェビャです。ウラル語族には、女と男の対を表す語が「人」を意味するようになるケースがあり、ハンガリー語のemberもそのようなケースではないかと考えられています( Zaicz 2006 )。ネネツ語は語頭に母音が来るのを避けるためになんらかの子音を前に補う傾向があるので、njebjaとなっています。

ウラル語族では、*najVのような語が「女」を意味し、*emVのような語が主に「母」を意味していたようです。しかしながら、「母」と「女」の間は単純ではありません。

祖父、父、おじに対してはフィンランド語のisäイサのように言い、祖母、母、おばに対しては厳密に別々の言い方をしていたというのは、ちょっと考えづらいことです。*emVの使用範囲が母より広かった可能性は十分にあります。祖母、母、おばに対して*emVと言い、必要に応じて*emVに語句を補うというやり方も考えられます。あるいは、ある子どもを連れている女性を*emVと呼び、別の子どもを連れている女性を*emVと呼び、さらに別の子どもを連れている女性を*emVと呼んでいるうちに、*emVが女性一般を意味するようになっていくかもしれません。

前にウラル語族の各言語で「女」のことをなんと言っているか表に示しましたが、フィンランド語nainen(女)、ハンガリー語nő(女)ノー、ネネツ語nje(女)ニェのような語が大部分を占めていました。しかし、ハンティ語imi(女)、セリクプ語ima(女)という語もありました。ハンティ語には、imi(女)のほかに、omi(母)やime(妻)のような語があります。セリクプ語には、ima(女)のほかに、ama(母)やimatɨ(妻)イマティのような語があります。ハンティ語とセリクプ語の例は、遠い昔に存在したある語を単純に受け継ぐだけでなく、母音を交替させたり、要素を追加したりしながら、語彙を増やしているように見えます。フィンランド語のemä(動物の母親)などと無関係でないであろうハンティ語のomi(母)、imi(女)、ime(妻)やセリクプ語のama(母)、ima(女)、imatɨ(妻)は、奈良時代の日本語に存在したomo(母)とimo(妹)を強く思い起こさせます(日本語の場合は、エ列の音がない時代があったと考えられるので、ウラル語族の*emVに対応する語があったとしても、語頭の母音はeにはなりません)。

日本語のomo(母)は、奈良時代にɸaɸa(母)とならんで使われていた語です。振り返れば、奈良時代はomo(母)からɸaɸa(母)への移行期だったのでしょう。omo(母)は廃れ、同類と見られるomo(主)が残ることになりました。

それに対して、万葉集などに頻繁に出てくるimo(妹)は、現代の私たちにはやや理解しづらい語です。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)では、基本的に「男から妻や恋人・姉妹などの親しい女性を呼ぶ称」とし、「イモは男から恋愛の対象となる女性一般をよぶ称であったらしい」という見解を述べています。古代の日本では(母親が異なる)兄弟姉妹間で子が作られることもあり、この点も現代と事情が違います。

生まれてきて出会う女性の中で、まず大きな存在となるのは、母でしょう。しかし、人生には、母以外の特別な女性もいるでしょう。女性一般を指す語としては*nayo(女)→me(女)があったので、imo(妹)はいくらかの変化の過程を経て三省堂時代別国語大辞典上代編が説明するような位置づけになったと見られます。世代や男女関係などを考えても、「祖母、母、おばの類」と「妻、恋人、姉妹の類」のような区別は不自然ではないでしょう。

*isa、*nayo、omo(母)、imo(妹)と見てきました。奈良時代の日本語には、ウラル語族の男と女に関する代表的な語彙に対応する語またはそのなごりが確かに認められます。しかし、衰退していく感じは否めません。*isaはtiti、oɸodi、wodiなどに取って代わられ、*nayoはmeに取って代わられ、omoはɸaɸaに取って代わられ、imoはimoɸitoからimouto(妹)という形で残りましたが、かつてよりだいぶ用法が狭まりました。

日本語に新しい語彙が現れ、ウラル語族との共通語彙が衰退していく構図を見て取った筆者は、その新しい語彙がどこから来たのか考えるようになりました。男と女に関する語彙以外を研究していて、シナ・チベット系言語とベトナム系言語の影響が強いことはわかっていたので、男と女に関する新しい語彙もシナ・チベット系言語かベトナム系言語のものだろうと思っていました。遼河文明の語彙を押しのけることができるとしたら、それは黄河文明の語彙か長江文明の語彙だろうと思っていたのです。

ところがいざ、wotokoはどこから来たのだろう、wotomeはどこから来たのだろう、okinaはどこから来たのだろう、ominaはどこから来たのだろうと調べ始めても、すんなりシナ・チベット系またはベトナム系の語彙に結びつけることができず、ひとまずこれらの問題は棚上げしました。

日本語の中にあるシナ・チベット系の語彙とベトナム系の語彙を相対的に見た場合、日本語とシナ・チベット系言語の接触は広範であり、日本語とベトナム系言語の接触は局所集中的であると感じていたので(日本語はベトナム語が属するオーストロアジア語族全体と接したのではなく、そのごく一部と接したという意味です)、複雑な様相を呈している男と女に関する新しい語彙はシナ・チベット語族のものである可能性が高いと考えていました。

上記の問題を棚上げした筆者は、前々から気になっていたフィンランド語のisäのような語について考察することにしました。かつてウラル語族の人々が祖父、父、その他の年長者に対して広く使っていた語です。現代の感覚からすると不思議なこの語の正体は一体なんなんだろうというのが大きな興味でした。東アジア、特に遼河流域周辺の言語を調べれば、フィンランド語のisäなどと同源の語が見つかるかもしれない、意味や使い方はウラル語族と異なっていても、そこからなにかヒントが得られるかもしれないと考えました。

 

補説

imo(妹)に対してのse(背、兄)

imo(妹)は男が妻・恋人・姉妹を指す時によく使われ、se(背、兄)は女が夫・恋人・兄弟を指す時によく使われました。対を成していたimo(妹)とse(背、兄)ですが、se(背、兄)の語源はimo(妹)の語源とは全然違うところにあるようです。

タイ語にchaayチャーイという語があります。「男」を意味し、現代では phuu chaay (男の人)プーチャーイや dek chaay (男の子)デクチャーイのように組み込まれて使われるのが普通です(chaayがうしろからphuuとdekを修飾しています)。

ベトナム語にもtraiチャーイという語があります。「男」という意味を持ち、現代では単独で男の集合を意味したり、組み込まれて使われたりします。

タイ語のchaayやベトナム語のtraiを現代の日本語に取り入れるとしたら、tyāiあるいはtyaiとなるところですが、昔の日本語では、そうはいきません。現代の日本人はチャンス、チューリップ、チョコレートなどのように「チャ、チュ、チョ」の類に慣れていますが、昔の日本人は「チャ、チュ、チョ」の類に不慣れであり、「サ、スィ、ス、セ、ソ」の類あるいは「タ、ティ、トゥ、テ、ト」の類で対応するしかありません。おまけに、母音の連続も許されません。タイ系の言語またはベトナム系の言語で「男」を意味していた語を、厳しい制約のある昔の日本語に取り入れる際に、tyaiとできず、tyeともsaiともできず、seになったと見られます。

 

参考文献

日本語

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

その他の言語

Zaicz G. 2006. Etimológiai szótár: magyar szavak és toldalékok eredete. Tinta Könyvkiadó. (ハンガリー語)

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