「コクがある」のコクとはなにか?

古代中国語から日本語への語彙の流入が従来考えられてきたより複雑そうだということがわかってきました。ポイントは、古代中国語のある語(これ自体の発音と意味も変化しています)が違う時代に、違う場所で、違う人間によって日本語に取り込まれてきたということです。

例えば、古代中国語のxok(黑)ホクとそのバリエーション形は、日本語にxという音およびそれに似たhという音がなかったために、ある時には*puka(深)、*puku(更く)(のちにɸuka(深)、ɸuku(更く))という形で取り入れられ、またある時にはkoku(黒)あるいはkogu(焦ぐ)、kogasu(焦がす)、kogaru(焦がる)という形で取り入れられたようだという話をしました。前者は、語頭のxまたはhをpに変換したケース、後者は語頭のxまたはhをkに変換したケースです。

外国語の語彙を取り入れる際に、不慣れな音を慣れた別の音に変換するのは一般的ですが、不慣れな音を単純に取り除いてしまうのも珍しくありません。古代中国語のxok(黑)とそのバリエーション形は、頭子音をpに変換してpuka(深)、頭子音をkに変換してkoku(黒)としただけでなく、頭子音を取り除くこともあったと見られます。こうしてできたのが、oku(奥)です(oki(沖)も同源です。陸地から見て奥が沖です)。日本語ではkura(暗)/kuro(黒)の存在が大きく、古代中国語のxok(黑)は少し意味がずれたところに居場所を見つけたようです。それが「深い」や「濃い」のようなところです。暗い緑、深緑、濃い緑と並べてみるとどうでしょうか。

よく使うあの語が実は・・・

ここでkosi(濃し)という形容詞について考えますが、yosi(良し)とasi(悪し)といっしょに考えます。これらの形容詞には共通点があるからです。昔の日本語の形容詞はsiで終わっていましたが、kosi(濃し)、yosi(良し)、asi(悪し)のようにsiの前が一音節の形容詞は極めて少ないのです(それに応じて、現代の日本語にもiの前が一音節の形容詞はほとんどありません)。筆者は、昔の日本語に見られるkosi(濃し)、yosi(良し)、asi(悪し)のような例外的な形容詞は外来語であると考えています。

古代中国語にljang(良)リアンとak(惡)という語がありました。日本語では、これらにryauとaku(そのほかにwo、u)という音読みを与えました。まず、ryauのほうに注目してください。

よく知られているように、昔の日本語は語頭で濁音を使うことを許しませんでしたが、語頭で流音(lやrの類)を使うことも許しませんでした。ある時代に古代中国語の「良」がryauという読みで日本語に取り入れられましたが、それより前の時代には日本語ではryauという音は不可能だったのです。ryauのrを取り除いたyauならどうかというと、これも母音が連続しているために不可能でした。ryauは不可、yauも不可で、yoという形にしてようやく取り込める状況だったのです(au→oの変化はこれまで再三見てきました)。古代中国語の「良」は、ryauという形で取り入れられる前に、yoという形で取り入れられていたと考えられます。古代中国語の「良」を形容詞化したのがyosiというわけです。

※似たようなことをベトナム系の言語に対しても行ったようです。ベトナム語では家のことをnhàニャと言います。このような語を昔の日本語にnyaという形で取り入れることはできません。昔の日本語にはnya、nyu、nyoの類がないからです。どうしたかというと、nを落としたya(家)という形で取り入れたのです。wagaya(我が家)のya(家)です。天皇などが住むところは、前にmiを付けてmiya(宮)と呼びました。miya(宮)がある場所がmiyako(都)です(このkoはkoko(ここ)やdoko(どこ)のkoと同じで場所を意味しています)。これらはベトナム語のnhà(家)のような語が起点になっていると見られます。ちなみに、ベトナム語で「家」はnhàですが、「庭」はsânスンあるいはソンです。sân(庭)のâは曖昧母音[ə]です。ベトナム語のsân(庭)のような語が日本語のsono(園、苑)のもとになったようです。

古代中国語の「良」を形容詞化したのがyosiなら、古代中国語の「惡」を形容詞化したのはなんでしょうか。日本語の発音体系では、古代中国語のak(惡)にそのままsiをつなげてaksiという形容詞を作ることはできません。ak(惡)の子音kのうしろに母音を補ってakusiのような形容詞を作るか、ak(惡)の子音kを落としてasiという形容詞を作るしかありません。同様のことは、古代中国語のxok(黑)にもあったと思われます。日本語の発音体系では、古代中国語のxok(黑)にそのままsiをつなげてkoksiという形容詞を作ることはできません。xok(黑)の子音kのうしろに母音を補ってkokusiという形容詞を作るか、xok(黑)の子音kを落としてkosiという形容詞を作るしかありません。絶対にそうでなくてはならないということではなく、可能な一つの選択肢として、古代中国語のak(惡)からasi(悪し)という形容詞が作られ、古代中国語のxok(黑)からkosi(濃し)という形容詞が作られたと見られます(この機会にusi(憂し)という形容詞についても本記事の終わりの補説に記しました)。日本語において確固たる位置を占めているkura(暗)/kuro(黒)から少しずれた意味領域に進出しようとする古代中国語のxok(黑)とそのバリエーション形からは、すでにɸukasi(深し)のような語が生まれていましたが、新たにkosi(濃し)という語が加わったのです。

古代中国語のxok(黑)とそのバリエーション形は、ɸukasi(深し)、oku(奥)、kosi(濃し)などの形で日本語に入り込みましたが、koku(コク)という形でも日本語に入り込んだようです。「コクがある」という時のあのkoku(コク)です。このkoku(コク)は、深み、奥行き、濃厚さのようなものを意味する語だったのです。甘い、辛い、苦い、すっぱい、しょっぱいのような味の区分を示す語とは異質な語です。だから、なかなか捉えどころがなく、しばしば話題になってきたのです。深み、奥行き、濃厚さのようなものは、単純には言い表せないものではないでしょうか。そういうものがkoku(コク)なのです(「コシがある」のコシについては、「腰(こし)」の語源の記事に記したので、まだ読まれていない方は、併せてお読みいただければと思います)。

こうして見ると、古代中国語の「黑」が実に多様な形で日本語に浸透していることに驚かされます。と同時に、古代中国語の「白」も意外な形で日本語に浸透しているのではないかと考えたくなります。今度は、古代中国語のbæk(白)バクに目を向けてみましょう。

 

補説

usi(憂し)という形容詞

昔の日本語のusi(憂し)も、上で見たkosi(濃し)、yosi(良し)、asi(悪し)のようにsiの前が一音節の例外的な形容詞であり、やはり外来語と考えられます。古代中国語のjuw(憂)イウウは、日本語ではユウという音読みが一般的になりましたが、当初はウおよびイウという音読みで取り入れられました。朝鮮語ではu、ベトナム語ではưuイウという読みになっています。古代中国語の「憂」を形容詞化したのがusi(憂し)と考えられます。

yosi(良し)にyosa(良さ)という名詞があるように、usi(憂し)にはusa(憂さ)という名詞があります。usabarasi(憂さ晴らし)のusa(憂さ)です。usi(憂し)/usa(憂さ)の意味範囲はなかなか微妙ですが、「気持ちが晴れない、憂鬱だ、つらい」というのが中心的な意味です。その意味範囲は、「面白くない、不愉快だ、いやだ、厭わしい、煩わしい、気が進まない」などの方向にも広がっています。現代の日本語で使われているuzattai(うざったい)やuzai(うざい)は、おおもとを辿ればここから来ていると思われます。

大和言葉(やまとことば)に潜んでいた外来語、見抜けなかったトリック

大和言葉(やまとことば)と古代中国語の密接な関わり

古代中国語などから取り入れられた語は、日本語の中になかなかわかりにくい形で存在しています。いくつか例を挙げてみましょう。意外なものもあるかもしれません。ここでは、そんなことになっているのかと、大体のイメージを形成してもらえば十分です。まずは、古代中国語のkin(巾)から始めます。

古代中国語のkin(巾)

日本語では「頭巾」や「雑巾」などでおなじみですが、古代中国語のkin(巾)は「布切れ」を意味していました。英語で言えば、「a piece of cloth」といったところです。古代中国語のkin(巾)は原初的な語で、「巾」という字は「布」、「席」、「帆」のような形でもよく出てきます。

ベトナム語のđượcドゥー(ク)のような語が、uku(受く)という形とu(得)という形で取り入れられたことを思い出してください。日本語ではukのように子音で終わることはできないので、uku(受く)という形とu(得)という形に落ち着いたという話です。

古代中国語のkin(巾)も、そのままでは日本語に取り込めません。末子音を落とすか、末子音のうしろに母音を補うかしなければなりません。実際にそのようなことが行われたようです。日本語の織物・衣類関連の語彙を考えると、古代中国語のkinの末子音を落としたのがki(着)、kinの末子音のうしろに母音を補ったのがkinu(衣、絹)と見られます。ki(着)から作られた動詞がkiru(着る)です。

ちなみに、ベトナム語で「着る」を意味する語はmặcマ(ク)です。日本語のmaku(巻く)に通じる語でしょう。日本語のmaku(巻く)も、nemaki(寝巻き)などのように、もともと着ることを意味していたが、上記のkiru(着る)が一般的になったために、意味が少し変わったと考えられます。

ukが不可なので、u(得)またはuku(受く)という形に落ち着く、kinが不可なので、ki(着)またはkinu(衣、絹)という形に落ち着く、これは日本語の歴史を理解するうえで極めて重要な頻出パターンなので、頭に入れておいてください。

先ほど例として「席」という漢字を挙げました。「席」には「巾」が含まれていますが、なぜでしょうか。それは、織ったものや編んだものを下に広げて、そこに座っていたからです。古代中国語のzjek(席)ズィエクは、そのようにして作った座る場所を意味していたのです。日本語のsiku(敷く)も、ここから来ていると見られます。語頭の濁音が清音になっています。

昔の日本人が古代中国語の語彙を当時の日本語の発音体系に合うように変形しながら取り入れている点だけでなく、古代中国語から日本語への語彙の流入が従来考えられてきたよりも早い時代から始まっている点にも注目してください。ある時代に、漢字が取り入れられ、「巾」にはkinという音読み、「席」にはsekiという音読みが与えられましたが、その時すでに、古代中国語のkin(巾)はki、kinu、kiruという形で、古代中国語のzjek(席)はsikuという形で日本語に存在していたのです。例を追加していきます。

古代中国語のsaw(騷)

古代中国語にsaw(騷)という語がありました。その一方で、奈良時代の日本語にsawakuとsawasawaという語がありました。これらは変化して、sawagu(騒ぐ)とzawazawa(ざわざわ)になりました。

発音と意味の両面から、古代中国語のsaw(騷)と奈良時代の日本語のsawaku/sawasawaを比べるとどうでしょうか。冷静に見れば、古代中国語のsaw(騷)がそのままでは日本語の発音体系になじまないので、aを付け足してsawaとし、ここから奈良時代のsawaku/sawasawaが作られたように見えます。

古代中国語のkæw(交)

古代中国語のkæw(交)カウはもともと、「交わること、交差すること、交錯すること」を意味していた語です。「交」という漢字は、人間が足をクロスさせているところを描いたものです。

この古代中国語のkæw(交)も、先ほどのsaw(騷)と同様、意味ありげです。古代中国語のkæw(交)は、日本語の「行き交う」や「飛び交う」の「交う」と「交わす」はもちろんのこと、なんらかの交換を意味する「買う、替える、替わる」(代、換、変という字も含めて)とも関係がありそうです。

奈良時代から、古代中国語のkæw(交)がもとになっていると考えられる以下の四つの動詞があり、入り組んでいました。

上の三つは四段活用で、最後の一つは下二段活用です。一番目のタイプが現代の「買う」に、二番目のタイプが現代の「交わす」に、三番目のタイプが現代の「替わる」に、四番目のタイプが現代の「替える」につながっていきます。

古代中国語のkæw(交)が奈良時代の日本語のkaɸu、kaɸasu、kaɸaruになったことになりますが、こういうパターンもあったようです。次の例も同じパターンです。

古代中国語のkhuw(口)

古代中国語のkhuw(口)クウは、奈良時代の日本語のkuɸu(食ふ)になったようです。

日本語にはkuti(口)とagi(あぎ)(ago(あご)の古形)という語があったので、他言語で口・あごを意味していた語は、口・あごの動作を意味する語になったのでしょう。そのことは、古代中国語のkhuw(口)だけでなく、ベトナム語のhàm(あご)ハムやタイ語のpaak(口)からも窺えます。

大和言葉(やまとことば)はベトナム語やタイ語とも関係がある

ベトナム語のhàm(あご)は、上あごと下あごを意味する語です。前に述べたように、日本語のハ行にはp→ɸ→hという変遷の歴史があります。これはつまり、日本語にhという音がない時代があったということです。そんな日本語の前にベトナム語のhàm(あご)のような語が現れたら、どうなるでしょうか。

奈良時代の日本語には、kuɸu(食ふ)と似た意味を持つ語として、kamuとɸamuがありました。kamu(噛む)は、現代の日本語でもおなじみです。ɸamu(食む)は、tuku(突く)とɸamu(食む)がくっついたtukiɸamuが変化したtuibamu(ついばむ)などの形で残っています。

どうやら、hという音がない時代の日本語では、他言語のhをkに変換したり、ɸ(あるいはp)に変換したりしていたようです。

※正確を期すために補足しておくと、ベトナム語のhàm(あご)のほかに、同じくあごを意味する古代中国語のhom(頷)という語もありました。これらは互いに関係があると考えられています。そのため、奈良時代の日本語のkamu(噛む)とɸamu(食む)は、ベトナム系の言語から入った語彙なのか、シナ・チベット語族の言語から入った語彙なのか、容易には断定できません。

タイ語のpaak(口)もなかなか示唆的です。日本語にはpakupaku(ぱくぱく)、pakuʔ(ぱくっ)、pakkuri(ぱっくり)のような擬態語がたくさんあり、このことが日本語の特徴としてしばしば強調されてきましたが、実はそれらの擬態語の源が普通の名詞、動詞、形容詞などであった可能性を示唆しています。

日本語にはシナ・チベット語族の言語、ベトナム系の言語、タイ系の言語などから語彙が流入し、特に基礎語彙が飽和気味になることがあったと見られます。例えば、「口」を意味する語がたくさんあってもしょうがないのです。そのような溢れそうになる基礎語彙をうまく吸収する方法として、pakupaku(ぱくぱく)、pakuʔ(ぱくっ)、pakkuri(ぱっくり)のような定型形式が有効に働いたようです。擬態語も日本語が辿ってきた歴史を克明に記録しており、重要な研究対象だということです。

 

補説

ani(兄)とotouto(弟)

ベトナム語にanh(兄)アインという語があります。近い発音をローマ字で示せば、ainです。ベトナム語のanh(兄)のような語を昔の日本語に取り込もうとしても、ainとはできません。母音が連続しているし、子音で終わっているからです。母音iを落としてanにすればOKでしょうか、あるいは、子音nを落としてaiにすればOKでしょうか。anでもaiでもまだ駄目です。

奈良時代の日本語には、ani(兄)とe(兄)という語がありました。どちらもおおもとは同じと考えられます。ainが不可、anも不可ということで行き着いた先がani(兄)であり、ainが不可、aiも不可ということで行き着いた先がe(兄)だったのでしょう(現代の日本語で「いたい」が「いてっ」になったり、「でかい」が「でけー」になったりするように、ai がeに変わりやすいことは前に述べました)。

現代のベトナム語では、兄のことをanhアイン、姉のことをchịチーと言いますが、後者は古代中国語のtsij(姊)ツィイを取り入れたものです(「姊」の俗字が「姉」です)。クメール語(カンボジアの主要言語)のbɔɔngボーンやタイ語のphiiピーは兄と姉の両方を指しますが、同じようにベトナム語のanhもかつては兄と姉の両方を指していたと見られます。日本語のani(兄)だけでなく、ane(姉)も、ベトナム語のanhのような語がもとになっているようです。少なくとも中国語が広がる前に中国南部で話されていた言語では、兄弟姉妹を男か女かで区別するのではなく、年上か年下かで区別するのが一般的だったといえそうです。

ちなみに、日本語のotouto(弟)はotoɸitoが古形で、これはotoとɸitoがくっついてできた語です。otoは、otu(落つ)やotoru(劣る)と同源で、「年が下であること、若いこと」を意味していました。この語は、現代の用法と違い、男だけでなく女にも用いられていました。日本語のimouto(妹)はimoɸitoが古形で、これはimoとɸitoがくっついてできた語です。万葉集のあちこちで男性が親しい女性のことをimoと呼んでいますが、このimoの語源については別のところで論じることにしましょう。

消された語頭の濁音、昔の日本語のタブー

ナ行変格活用の動詞は「死ぬ」と「往ぬ」だけ

古代中国語のsij(死)スィイあるいはそれと同源の語に完了の助動詞のnuがくっついて、日本語のナ行変格活用のsinu(死ぬ)という動詞ができたようだという話をしました。もう一つのナ行変格活用動詞であるinu(往ぬ)についても、同じように考えたくなります。しかし、こちらはそこまで単純ではないようです。

結論を先に言うと、筆者は、ベトナム語のđiディーのような語に完了の助動詞のnuがくっついて、日本語のナ行変格活用のinu(往ぬ)という動詞ができたと考えています。ベトナム語のđiは、「行く、行ってしまう、去る」という意味を持つ頻出単語です。ここでのポイントは、昔の日本語では、sinuとは言えても、dinuとは言えないということです。昔の日本語は語頭に濁音が来るのを許さないからです。筆者は、昔の日本人がdinuと言えないためにinuと言っていたのではないかと考えているのです。

もちろん、この考えには根拠があります。昔の日本語では、語頭で濁音を使うことができないので、外国語の語彙を取り込む際に、語頭の濁音を落とすことが度々あったようです。少し例を挙げてみましょう。

消される語頭の濁音

ベトナム語には、đượcドゥー(ク)という頻出単語があります。語末のcは、発音しない[k]です。đượcは、英語のgetやreceiveのような意味を持っています。ベトナム語のđượcのような語も、dukuではなく、uku(受く)という形で日本語に取り込まれたようです。やはり、語頭の濁音が落とされています。

※ベトナム語のđượcは明らかに古代中国語のtok(得)と関係があると考えられますが、長江文明の言語と黄河文明の言語の共通語彙の問題は単純でないため、ここでは深入りしません。

興味深いことに、このベトナム語のđượcという語には、英語のgetやreceiveのような意味だけでなく、英語のcanやmayのような意味もあります。英語のcanやmayのような意味とは、「~できる、~かもしれない」という意味です。どうやら、日本語はベトナム語のđượcのような語をuku(受く)という形とu(得)という形で取り入れたようです。日本語ではukのように子音で終わることはできないので、uku(受く)という形とu(得)という形に落ち着いたのは自然な成り行きといえます。現代の日本語では、uku(受く)はukeru(受ける)に、u(得)はuru/eru(得る)になっています。

ベトナム語には、gặpガ(プ)という頻出単語もあります。語末のpは、発音しない[p]です。gặpは、英語のmeetのような意味を持っています。ベトナム語のgặpのような語も、gapuではなく、*apuという形で日本語に取り込まれ、その後aɸu(合ふ、会ふ)に変化したようです(日本語のハ行の変遷については、本記事の終わりに付した補説を参照してください)。やはり、語頭の濁音が落とされています。

※ベトナム語のgặpも古代中国語のhop(合)と関係があると思われますが、長江文明の言語と黄河文明の言語の共通語彙の問題は単純でないため、ここでは深入りしません。

ベトナム語のđượcドゥー(ク)のような語が日本語のuku(受く)になり、ベトナム語のgặpガ(プ)のような語が日本語の*apu→aɸu(合ふ、会ふ)になりました。日本語のuku(受く)やaɸu(合ふ、会ふ)は、頭子音が落ちてしまった形だということです。

シナ・チベット語族の言語とベトナム系の言語は、日本語と発音体系が著しく異なるため、これらの言語から語彙を取り入れる際には、一筋縄では行きませんでした。「死ぬこと」を意味する古代中国語のsij(死)スィイあるいはそれと同源の語は、sinuという形で取り入れることができたが、「行くこと、行ってしまうこと、去ること」を意味するベトナム語のđiディーのような語は、dinuという形で取り入れることができず、inuという形で取り入れられたのだろうという筆者の考えを述べましたが、この考えは上に示したような頭子音の脱落例を見ているうちに芽生えてきたものです。

この話をさらに深く掘り下げるために、ベトナム語のđi(行く)ディーだけでなく、đến(来る)デンにも登場してもらいましょう。

出かける時の言葉

ベトナム語のđiディーは「行く」を意味し、đếnデンは「来る」を意味します。言うまでもありませんが、điもđếnも頻出単語です。両者を組み合わせた đi đến ディーデンというフレーズもあります。このベトナム語の đi đến のようなフレーズが、日本語に取り入れられた可能性があります。しかも、出かけようとする時の言葉として取り入れられた可能性があります。現代の日本人が出かける時に「いってくる」とか「いってきます」と言っていることを思い起こしてください。昔も同じようなことをしていたのではないかというわけです。

ベトナム語の đi đến のようなフレーズをそのまま取り込むことはできません。昔の日本語では、濁音で始まることができないので、didenではなくiden、さらに子音で終わることができないので、idenではなくideとなりそうです。

奈良時代の日本語にはide(いで)という言葉があり、自分が決意する時や他人を誘う時などにこの言葉を発していました。岩波古語辞典(大野1990)では、このide(いで)とidu(出づ)の間に関係があるのではないかと考えていますが、筆者も関係があると考えています。もともと、ideは自分が出かけようとする時あるいは他人を連れて出かけようとする時に発する言葉で(現代の日本語の「行くぞ」や「行こう」に近いところがあったと思われます)、iduは出かけることを意味する動詞だったというのが筆者の見解です。iduは、idu→du→duru→deru(出る)と変化し、iduから作られたidasuは、idasu→dasu(出す)と変化しました。

ide(いで)の類義語として、iza(いざ)という言葉があったことも見逃せません。実は、ベトナム語のđiとđếnに出てくるđというアルファベット文字は、[ d ]ではなく、[ ɗ ]と発音します。ベトナム語のアルファベットは少しごちゃごちゃしているので、 đi đến を拡大しておきます。

ベトナム語の[ ɗ ]は、英語や日本語の[ d ]に似ていますが、少し違います。言語学では、英語や日本語の[ d ]は有声歯茎破裂音と呼ばれ、ベトナム語の[ ɗ ]は有声歯茎入破音と呼ばれます。英語や日本語の[ d ]を発音する時には、舌を口内の上側に突き立てて、空気を吐き出したいんだが吐き出せない状態を軽く作ります。そうしてから、その通行止めを開放し、空気を流出させながら発音します。これに対して、ベトナム語の[ ɗ ]を発音する時には、舌を口内の上側に突き立てて、空気を吸い込みたいんだが吸い込めない状態を軽く作ります。そうしてから、その通行止めを開放し、空気を流入させながら発音します。要するに、空気の流出を伴いながら発音するところと、空気の流入を伴いながら発音するところが違うのです。ベトナム語の[ ɗ ]は比較的まれな音で、うまく発音できるようになるには練習が必要です。前述の空気の流出と流入という違いがあるために、英語や日本語の[ d ]とベトナム語の[ ɗ ]は少し音色が違います。この日本人にとって不慣れな[ ɗ ]が、[ d ]に変換されたり、[ z ]に変換されたりしたために、日本語のほうにide(いで)とiza(いざ)という異形が生じたと見られます。

ベトナム語の đi đến のようなフレーズが頭子音を落とした形で取り込まれ、そこに「行くぞ」や「行こう」のような意味があったと考えると、昔の日本語のide(いで)、idu(出づ)、iza(いざ)、izanaɸu(率ふ、誘ふ)などがよく理解できます。

ベトナム語のđiのような語が頭子音を落として取り込まれたのがinu(往ぬ)、ベトナム語の đi đến のようなフレーズが頭子音を落として取り込まれたのがide(いで)、idu(出づ)、iza(いざ)、izanaɸu(率ふ、誘ふ)などと考えられます。

日本語の中にはシナ・チベット語族の言語とベトナム系の言語から取り入れた語が大量に存在しますが、その多くがなかなかわかりにくい形で存在しています。発音体系が著しく異なるために、単純に取り込めなかったからです。シナ・チベット語族の言語とベトナム系の言語は日本語の成り立ちを明らかにするうえで非常に重要なので、頭子音を落とすパターンだけでなく、それ以外のパターンも見てみましょう。

 

補説

日本語のハ行について(1) ※こちらは再掲載です。

「が」と「か」は、濁っているかいないかの違いがあるだけで、口の中の同じ場所で作られる音です。「ざ」と「さ」についても、「だ」と「た」についても同様です。しかし、現代の日本語では、「ば」と「は」は全然違う場所で作られています。「ば」は唇のところで作られ、「は」は喉のほうで作られています。かつては、「は」も唇のところで作られていました。「ば」はbaと発音され、「は」はɸaと発音されていました。ɸaはファミレスのファの音です。英語のように上前歯と下唇で作るのではなく、上唇と下唇で作るファです。例えば、hana(花)はɸanaと発音していました。「ɸa、ɸi、ɸu、ɸe、ɸo」は、「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」という具合です。

日本語のハ行について(2)

「日本語のハ行について(1)」では、昔の日本語のハ行が「ɸa、ɸi、ɸu、ɸe、ɸo」であったことをお話ししました。例えば、hana(花)はɸanaと発音していました。

しかし、話はここで終わりません。実は、琉球列島で話されている琉球方言の中には、panaと発音している方言が少なくないのです(亀井1997、p.324)。

日本語はまず「琉球方言」と「それ以外の方言(本土方言)」に分かれます。日本語の研究において、琉球方言の位置づけはそれだけ重いのです。日本語のもとの姿を知ろうと思えば、「琉球方言」と「それ以外の方言(本土方言)」の両方を対等に見なければなりません。

hana(花)がかつてɸanaと発音されていたというのは本土方言の話です。おおもとの日本語で本土方言のようにɸanaと発音していたか、琉球方言のようにpanaと発音していたかはさらに考える必要があるのです。

英語では、kが濁ったのがg、sが濁ったのがz、tが濁ったのがdで、さらに、pが濁ったのがb、fが濁ったのがvです。この英語のパターンは、人類の言語に一般的に見られるパターンです。普通、bはpとペアになるのです。一般言語学の立場からは、本土方言の昔のɸ–bというペアは変則的で、これはp–bが変化したものと考えるのが自然です。おおもとの日本語では、本土方言のようにɸanaとは言わず、琉球方言のようにpanaと言っていたであろうということです。

シナ・チベット語族のいくつかの言語に、ミャンマー語pan(花)やチャン語kuʂ(菜、すなわち食用の草本植物)クシュのような語があることから、黄河文明の言語から日本語に植物に関する語彙(花、草など)が入ったと見られ、日本語のhana(花)はミャンマー語のpan(花)などと同源と考えられます。日本語の歴史にp→ɸ→hという変化があったと推定されること、このことは非常に重要なので覚えておいてください。

 

参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

亀井孝ほか、「言語学大辞典セレクション 日本列島の言語」、三省堂、1997年。