LとRは違う、しかし似ている

日本人が英語を学習する時にLとRの違いが強調されますが、LとRに似たところがあるのも事実です。「LとRは違いますよ」と繰り返し強調されること自体、LとRが似ていることの証拠なのです。

ややこしいことに、世界の諸言語には微妙に異なる音がたくさんあり、いくつもの音がLとRというたった二つのアルファベット文字で書き表されています。これも混乱を招く原因になっています。

ここではまず、運がよいことを意味する英語のluckyと日本語のrakkīから話を始めます。英語のluckyが日本語のrakkīになりましたが、英語のluckyの先頭のLと日本語のrakkīの先頭のRは違う音です。

世界の多くの言語が英語のLと同じ音を持っています。したがって、英語のLについて正確に理解しておくことが重要です。日本語で「ラッキー」と発音してみてください。舌先が上前歯付け根の少し後方に触れます。この箇所を★と書き表すことにします。英語のLを発音する時にも、日本語のRを発音する時にも、★の箇所を使います。

英語のLを発音する時には、舌先を★の箇所にくっつけます。ポイントは、舌先を★の箇所にくっつけたまま、左右の隙間から息を抜くことです。絶対やってはいけないのは、舌先を★のところでバウンドさせることです。あくまで、舌先を★の箇所にくっつけたまま、左右の隙間から息を抜きます。慣れないうちは、舌先を★の箇所にくっつけたまま、左右の隙間から息が抜けていくのを実感する時間をたっぷり取ってください。左右の隙間から息が抜けていくのを十分に実感しながら、英語のluckyを発音しましょう。これが英語のLの発音の仕方です。

これに対して、日本語のRは、舌先を★のところでバウンドさせる音です。上でタブーとされたことを行うわけです。日本語のRは、舌先を★のところで一回バウンドさせるだけですが、世界には、舌先を★のところで複数回バウンドさせる音があります。フィンランド語やハンガリー語のRはまさにこれです。「ラ、ラ、ラ」と、舌先を★のところで3回バウンドさせましょう。このように舌先を★のところで何回かバウンドさせるのは、時間がかかります。しかし、舌先を★のところで機械のように振動させるようにすれば、一瞬で行えます。機械が振動するように「ルルルルルルル・・・」という感じです。日本語のように舌先を一回だけバウンドさせるRも、フィンランド語やハンガリー語のように舌先を振動させるRも、世界に広く見られます。インド・ヨーロッパ語族のRも、もともと舌先を振動させるRでした。舌先を振動させるRは、英語などでは違う音になってしまいましたが、イタリア語やロシア語にはきれいに残っています。国際音声記号IPAを用いて整理します。

歯茎側面接近音。舌先を★のところにあてて、左右の隙間から息を抜くのが特徴です。英語、イタリア語、ロシア語、フィンランド語、ハンガリー語などのLの音。

歯茎はじき音。舌先を★のところで一回だけバウンドさせる音です。日本語のRの音。

歯茎ふるえ音。舌先を★のところで振動させる音です。イタリア語、ロシア語、フィンランド語、ハンガリー語などのRの音。

お気づきかと思いますが、上にイタリア語、ロシア語、フィンランド語、ハンガリー語などのRのことは書かれていますが、英語のRのことは書かれていません。英語のRは、以下のような別の音になっています。

歯茎接近音。舌先が★のところに接近しますが、★のところにくっつかないのが特徴です。先に挙げた歯茎側面接近音[l]、歯茎はじき音[ɾ]、歯茎ふるえ音[r]は、舌先が★の箇所にくっつきますが、この歯茎接近音[ɹ]は、舌先が★の箇所にくっつかないのです。

歯茎側面接近音[l]、歯茎はじき音[ɾ]、歯茎ふるえ音[r]、歯茎接近音[ɹ]の四つについて説明しました。従来発音の説明をする際に「巻き舌」という言葉がよく使われてきましたが、この言葉は実状に即しておらず、様々な混乱を招くだけなので、一切使用しないほうがすっきりします。筆者の上の説明では、一切使用していません。歯茎側面接近音[l]、歯茎はじき音[ɾ]、歯茎ふるえ音[r]、歯茎接近音[ɹ]以外にも似た音がいくつかありますが、とりあえず歯茎側面接近音[l]、歯茎はじき音[ɾ]、歯茎ふるえ音[r]、歯茎接近音[ɹ]の四つを基本として押さえてください。左右の隙間から息を抜く、舌先を一回だけバウンドさせる、舌先を振動させる、舌先をくっつけない、というのがそれぞれの特徴です。

歯茎側面接近音[l]、歯茎はじき音[ɾ]、歯茎ふるえ音[r]、歯茎接近音[ɹ]は違う音ですが、この四者の間は発音の変化が起きやすいです。日本人も、matu(松)とbatu(罰)と聞けば、音が違うと感じるでしょう。しかし、日本語およびその周辺の言語の歴史を振り返ると、mとbの間で発音が変化することは多かったのです。それと同じように、歯茎側面接近音[l]、歯茎はじき音[ɾ]、歯茎ふるえ音[r]、歯茎接近音[ɹ]は違う音ですが、これらの間で発音が変化することは多かったのです。英語のluckyが日本語のrakkīになったのもそうですが、特にある言語から別の言語に語彙が入る時に、発音の変化が起きやすかったと見られます。

前回の記事で、かつて北ユーラシアに水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言う巨大な言語群が存在したようだと述べました。rの部分がlになるケースも考慮に入れながら、再び古代北ユーラシアの歴史に迫ることにしましょう。

かすかに浮かび上がる朝鮮語とアイヌ語の起源

前に英語のwater(水)、wet(濡れている)、ラテン語のaqua(水)、umidus(濡れている)という語を取り上げたことがありました。

ウラル語族のフィンランド語ではvesi(水)、märkä(濡れている)マルカと言い、ハンガリー語ではvíz(水)ヴィーズ、nedves(濡れている)と言います。

英語のwet(濡れている)がwater(水)と同源であることはお話ししました。ラテン語のumidus(濡れている)が古代北ユーラシアで水を意味したam-、um-、om-のような語から来ていることもお話ししました。では、フィンランド語のmärkä(濡れている)とハンガリー語のnedves(濡れている)はどうでしょうか。フィンランド語のmärkä(濡れている)とハンガリー語のnedves(濡れている)はウラル語族の標準的な語彙ではなく、古代北ユーラシアとの関係を考えなければなりません。

まずは、フィンランド語のmärkä(濡れている)について考察しましょう。古代北ユーラシアに水のことをmärkäのように言う言語があって、そこからフィンランド語のmärkä(濡れている)が来たという可能性はどうでしょうか。これはほぼ確実です。ウラル語族の語彙だけでなく、インド・ヨーロッパ語族の語彙も見ると、よくわかります。

皆さんもご存じのように、英語にはmarkという語があります。英語のmarkは、今では印(しるし)を意味していますが、もともと境界を意味していた語です。余白を意味したり、利ざやを意味したりしている英語のmarginは、端の部分や境界の部分を意味していたラテン語のmargoから来ています。

昨今の企業の統合・合併の話でよく出てくる英語のmergeも、水の中に入ることを意味したラテン語のmergereから来ています。水の中に入るところから、混ざるや融合するのような意味が生まれてくるわけです。ちなみに、ラテン語のmergereは水の中に入ること、emergereは水の中から出ることを意味し、後者は英語のemerge(現れる)になっています。なにかが現れること、特に突然現れることを意味するようになっていったのが英語のemergent/emergencyです。

上記の英語のmarkやラテン語のmargoも怪しいですが、古英語mere(海)(この語は廃れましたが、ドイツ語のMeer(海)は健在です)、ラテン語mare(海)、ロシア語more(海)、リトアニア語marios(潟)なども怪しいです。

古代北ユーラシアに水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-のように言う言語群があったのではないか、さらに、連続するrとkのどちらかが脱落してmar-、mir-、mur-、mer-、mor-あるいはmak-、mik-、muk-、mek-、mok-のような形が生じていたのではないかと考えたくなります。フィンランド語のmärkä(濡れている)、meri(海)、mäki(丘)などは、まさにそのような例です(水・水域を意味していた語がその隣接部分、特に盛り上がり、坂、丘、山などを意味するようになるパターンを思い出してください)。

水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言う言語群は、ヨーロッパ方面から東アジア方面まで大きく広がっていたようです。東アジアの遼河流域のずっと北のほうには、以前にお話しした巨大なレナ川が流れています。レナ川にはたくさんの支流が流れ込んでおり、マルハ川(Markha River)と呼ばれる支流が二つあります。かつてレナ川流域に住んでいた人々が水または水域のことをmarkhaのように言っていたことが窺えます。

そして、なんといっても注目すべきなのは、モンゴル語mɵrɵn(川)ムルン、エヴェンキ語mū(水)ムー、ナナイ語mue(水)ムウ、満州語muke(水)ムク、朝鮮語mul(水)などの語が見られることです。朝鮮語のmulの古形はmɨrミルです。モンゴル語にはus(水)という語があり、モンゴル語mɵrɵn(川)は外来語と考えられますが、エヴェンキ語mū(水)、ナナイ語mue(水)、満州語muke(水)、朝鮮語mul(水)は外来語とは考えづらいです。かつて水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言う巨大な言語群が存在したが、その大部分は消滅し、一部がツングース諸語や朝鮮語として残ったのではないか、そんな展開が考えられます。

古代北ユーラシアに水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言う巨大な言語群が存在したことが明らかになってきましたが、これによって考えなければならない問題がいくつも出てきます。

現在ヨーロッパ方面から東アジア方面に残っている言語の語彙を分析する限り、かつて北ユーラシアに、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言う巨大な言語群、水のことをam-、um-、om-のように言う巨大な言語群、そして水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言う巨大な言語群が存在したと考えられます。しかし、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-という語形、am-、um-、om-という語形、そしてmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)という語形は、互いに大きく異なります。

国家や国境が幅を利かせている現代に生きる私たちは、以下のような単純な言語分布を考えがちです(左側がヨーロッパ方面で、右側が東アジア方面だと考えてください)。

しかし、このような単純な言語分布は、古代北ユーラシアの実情と合いません。水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた言語群も、水のことをam-、um-、om-のように言っていた言語群も、水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言っていた言語群も、ヨーロッパ方面と東アジア方面の双方に大きな跡を残しているからです。むしろ、以下のような言語分布になっていたのではないかと考えられるくらいです。

赤の言語と青の言語と黄色の言語が複雑に入り混じっている状態です。少なくとも、古代北ユーラシアの言語分布は先に示したような単純な言語分布ではなかったということです。このことは、人類の言語の歴史、そして一般に人類の歴史を考える際に頭に入れておかなければなりません。上の図の一番左で赤の言語を話している人々のDNAは、すぐそばで青の言語および黄色の言語を話している人々のDNAと比べてどうでしょうか。上の図の一番左で赤の言語を話している人々のDNAは、上の図の一番右で赤の言語を話している人々のDNAと比べてどうでしょうか。

水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言っていた言語群に関連する問題は様々ありますが、その中にアイヌ語の起源に関する問題もあります。水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言っていた言語群は、朝鮮語の起源だけでなく、アイヌ語の起源とも関係がありそうです。この興味深い話題についてお話しする前に、北ユーラシアの言語の歴史を考えるうえでどうしても外せないので、LとRの話をはさみます。日本人が英語などを学ぶ際によく問題となるLとRの話です。

新潟の「潟(かた)」とは何か?

水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた言語群、am-、um-、om-のように言っていた言語群、sam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群など、かつての日本語の周辺には、全然知られていない言語(もう今では残っていない言語)がたくさんありました。日本語の成り立ちを明らかにするためには、それらの言語を丁寧に掘り起こしていかなければなりません。

向き・方向を意味したsama(様)の語源が「水」であることはお話ししましたが、同じく向き・方向を意味したkata(方)の語源も「水」のようです。日本語のそばに、水のことをkataのように言う言語があったということです。

日本語には、水と関係の深いkata(潟)という語がありました。新潟などの地名に残っています。kata(潟)は、潮が満ちると隠れ、潮が引くと現れる場所(要するに海と陸の境のあたり)を意味することが多かったですが、海から少し陸に入ったところにできる湖を意味することもありました。

水を意味するkataのような語が存在したことは、上記のkata(潟)だけでなく、katasi(かたし)からも窺えます。水を意味できなくなったkataが、氷を意味しようとしたが、それも叶わず、katasi(かたし)になったと見られます。氷を意味していた語が冷たさ・寒さを意味するようになることはよくありますが、かたさを意味するようになることもよくあります。katikati(かちかち)、gatigati(がちがち)、gattiri(がっちり)、gassiri(がっしり)やgatan(がたん)、gatyan(がちゃん)、gatin(がちん)、gatun(がつん)など、同類がたくさんありそうです。

水を意味したkataは、samaと同じように向き・方向も意味するようになりました。向き・方向を意味していたsama(様)が状態を意味するようになった話を思い出してください。kata(方)もなにかが存在する様、そしてさらに、なにかが行われる様を意味するようになりました。こうして、「あり方、開け方、切り方」のような言い方が生まれます。水を意味する語から、方法を意味する語まで生まれるのです。

水を意味したkataは、多様な変化を経験したようです。水・水域を意味していた語が端の部分、境界の部分を意味するようになるのは、お決まりのパターンです。なにかの端の部分(ふち、へり、周縁部)を見てください。そこから「輪郭」のような意味が生まれそうではないでしょうか。これがkata(形)であったと思われます。kataの意味があまりに多様になってきたために、kata(形)からkatati(形)やsugata(姿)を作り出して区別しようとしたのかもしれません。

kataが水・水域に隣接する陸の部分を意味していたのであれば、この図のような状況もあったはずです。二つあるうちの一つを指すkata(片)は、ここから来ていると考えられます。kataɸara(傍)はもともと横腹・脇腹を意味していたので、kataは一方、横、脇などの意味を持っていたのでしょう。これでkatamuku(傾く)やkatayoru(偏る)も納得です。

※インド・ヨーロッパ語族にも、似た例があります。インド・ヨーロッパ語族には、二分されたうちの一方、つまり半分を意味するラテン語semi-や古代ギリシャ語hemi-のような語がありました(英語にもsam-という語がありましたが、廃れてしまいました)。前回の記事でお話しした大テュルク語族で水を意味したsam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語と関係がありそうです。

水を意味したkataのような語は、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語とも、am-、um-、om-のような語とも、sam-、sim-、sum-、sem-、som-のような語とも明らかに違います。向き・方向を意味するsama(様)の話が出たので、ついでにkata(方)の話をしましたが、水のことをkataのように言う言語群以外にも、様々な言語群が存在したようです。日本語のまわりの言語の分布は非常に複雑だったということです。英語、中国語、ロシア語のような大言語は存在せず、小さな言語がひしめいていた時代の話です。現生人類は3~4万年前には北ユーラシア・東アジアに広く現れていますが、その当時の言語が互いに大きく異なっていた可能性もあります。

過去3~4万年間の北ユーラシア・東アジアの言語の歴史は、簡単には明らかにできません。まず重要なのは、特に有力であった言語群を浮かび上がらせながら、大ざっぱな全体像をつかみにいくことです。

水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言う言語群も、am-、um-、om-のように言う言語群も、sam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言語群も巨大な言語群だったと考えられますが、これらに全く劣らない別の巨大な言語群が存在したようです。タイミング的にちょうどよいので、この別の巨大な言語群の話をすることにします。この別の巨大な言語群は、色々と謎めいたところのある言語群です。朝鮮語やアイヌ語の起源に関わる話になります。