歴史の奥底に埋もれた語

現生人類は45000年前には北ユーラシアに現れており、北ユーラシアに存在した言語のバリエーションを捉えるのはとても大変です。

まずは、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-(jは日本語のヤ行の子音)のように言っていた巨大な言語群を中心に考えましょう。

この巨大な言語群は、ケチュア語yaku(水)やグアラニー語i(水)(同系の言語でトゥパリ語yika(水)イカ、メケンス語ɨkɨ(水)イキ、マクラップ語ɨ(水))など、南米のインディアンの言語にはっきり存在が認められます。

つまり、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた巨大な言語群は、古くから北ユーラシアに存在し、早くにアメリカ大陸に入っていったことが確実です。ここでいう「古くから」とは、人類がアメリカ大陸に進出する前、すなわち2万年以上前の時代を指します。

さらに、上記の巨大な言語群は、ヨーロッパから東アジアに残っている諸言語に広範な影響を与えています。

北ユーラシアの言語の歴史を考える時に、まず水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた巨大な言語群に注目するのは、理にかなっています。

jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のjの部分がdʒ、tʃ、ʒ、ʃに変化しやすいこと、さらにこれらがd、t、z、sに変化しやすいことは、すでにお話しし、多くの例を示してきました。以下のような形が生じます。

図1

古代人はこのように考えていたの記事では、以下のような変化も示唆しました。

図2

実際に、このような変化も起きています。例えば、ウラル語族のサモエード系のネネツ語に、ないこと・いないことを意味するjaŋguヤングという語があります。ネネツ語ではjaŋgu(ない、いない)ですが、ガナサン語ではdjaŋku(ない、いない)ディアンク、セリクプ語ではtjaŋkɨ(ない、いない)ティアンキ、そしてマトル語ではnjaŋgu(ない、いない)ニャングです。ガナサン語とセリクプ語の例は、図1のようなパターンです。マトル語の例は、図2のようなパターンです。ja(ヤ)と発音する時には、舌の先のほうが口の中の天井ぎりぎりまで近づきます。天井に触れると、ガナサン語のようにdja(ディア)になったり、セリクプ語のようにtja(ティア)になったり、マトル語のようにnja(ニャ)になったりするのです。

すでに取り上げた日本語のnaka(中)やnagaru(流る)/nagasu(流す)なども、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた巨大な言語群から来ていると考えられます。

図1と図2の変化は、北ユーラシアの言語の歴史を考える時に非常に重要なので、記憶にとどめておいてください。図1と図2のkの部分も変化します。例えば、jak-がjag-になったり、jank-になったり、jang-になったり、jan-になったりします。jak-以外の場合も同様です。これだけでもう、かなりのバリエーションができます。

古代北ユーラシアに水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語が存在し、それらが形を変えながら、そして意味を変えながら、現代の諸言語に入り込んでいます。この過程を細かく追うことは重要ですが、実はもう一つ重要なことがあります。

古代北ユーラシアに水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語が存在したことは確かですが、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-という語形よりもっと古い語形があり、そのもっと古い語形からjak-、jik-、juk-、jek-、jok-という語形が生まれたようなのです。

そのもっと古い語形とは、jark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jalk-、jilk-、julk-、jelk-、jolk-)という語形です。この語形から子音が消えて、jar-、jir-、jur-、jer-、jor-(jal-、jil-、jul-、jel-、jol-)という語形と、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-という語形が生まれました。

なぜそのことに気づいたのか?

当然、なぜ筆者がそのような考えに至ったのかお話ししなければなりません。様々な根拠を積み重ねてそのような考えに至ったのですが、まずは前回の記事で示したテュルク諸語の2の話から始めましょう。

トルコ語ではiki(2)ですが、ウイグル語ではikki(2)、ヤクート語ではikki(2)、チュヴァシ語ではikkӗ(2)イッキュでした。トルコ語ではkが一つですが、テュルク祖語の段階ではkが二つ連続していたと考えられます。言語の発音変化を考察する際には、このような些細な点にも注意を払う必要があります。

英語victim、フランス語victime、イタリア語vittima(いずれも被害者・犠牲者という意味)のように、二つの異なる子音が同化する現象は人類の言語でよく起きます。ウイグル語ikki(2)、ヤクート語ikki(2)、チュヴァシ語ikkӗ(2)の-kk-の部分も、かつては別々の子音であった可能性があります。

北ユーラシアにはウラル系、テュルク系、モンゴル系、ツングース系の言語が大きく広がっていますが、ユーラシア大陸の一番右上のほうにユカギール語という消滅寸前の言語があります。かつては栄えていたと見られますが、有力な言語に圧迫されて消滅寸前の状態に追い込まれてしまいました。ユカギール語の語彙は、周囲の言語の語彙と大きく異なります。ユカギール語を研究すれば、遠い昔の北ユーラシアを覗くことができるのではないかと期待させます。以下はユカギール語の数詞の1~3です。

ちなみに、ユカギール語では水のことをooʒiiオージーと言います。irkin(1)、ataxun(2)、jaan(3)は他言語で水を意味していた語から来ていると考えられます。irkin(1)は強烈に目を引きます。

先ほど見たテュルク諸語のウイグル語ikki(2)、ヤクート語ikki(2)、チュヴァシ語ikkӗ(2)の-kk-の部分がかつては-rk-であった可能性が出てきました。

イルクーツクとイルクート川

ロシアにイルクーツク(Irkutsk)という都市があります。シベリアの代表的な都市です(地図はWikipediaより引用)。

イルクーツクはバイカル湖の近くにあります。バイカル湖から北西に向かってアンガラ川(Angara River)が流れ出ています。バイカル湖から流れ出たアンガラ川に、西側からイルクート川(Irkut River)が流れ込みます(イルクート川は、エニセイ川とアンガラ川に比べて小さい川であり、地図には記されていません)。アンガラ川にイルクート川が流れ込んでくるところがイルクーツクです。イルクーツクからアンガラ川をちょっと進んだところにアンガルスク(Angarsk)という都市もあります。河川の名前から都市の名前が生まれています。

やはり、古代北ユーラシアに水・水域のことをirk-のように言う言語群があって、そこからテュルク諸語のトルコ語iki(2)、ウイグル語ikki(2)、ヤクート語ikki(2)、チュヴァシ語ikkӗ(2)やユカギール語のirkin(1)が来ているようです。

すでに取り上げた日本語のika(イカ)、ikaru(怒る)、iki(息)、iku(生く)、ike(池)などでは子音がkで、iru(入る)、iraira(イライラ)などでは子音がrなので、一見別物に見えますが、水・水域を意味するirk-のような語が根底にありそうです。おそらくiruka(イルカ)も無関係でないでしょう。水・水域を意味することができず、水生動物を意味するようになったと思われます。irukaの意味は今より広かったかもしれません。ご存じの方もいると思いますが、クジラとイルカは同種の生物で、大きいものがクジラ、小さいものがイルカと呼ばれています。

jak-、jik-、juk-、jek-、jok-という語形の背後に本当にjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-という語形が隠れているのでしょうか。jirk-という形だけでなく、jark-、jurk-、jerk-、jork-という形も調べなければなりません。検証を続けます。

ツングース諸語、モンゴル語、テュルク諸語の数詞から見る古代北ユーラシア

前回の記事では、日本語のɸito(1)、ɸuta(2)、mi(3)の語源が「水」であることを明らかにしました。yo(4)以降の数詞がどのように作られたのかということも興味深いですが、水と数詞の深い関係を確認するために、他言語の数詞も少し見ておきましょう。以下はツングース諸語の1~3です。

日本語の歴史をよく知るには、特に遼河周辺がどうなっていたかよく知る必要があります。かつて遼河周辺に存在した言語は日本語とツングース諸語に多くの語彙を残しているので、日本語とツングース諸語の双方を調べることが重要です。

水の惑星の記事では、ツングース諸語で飲むことを意味するエヴェンキ語ummī(語幹um-、以下同様)、ウデヘ語umimi(umi-)、ナナイ語omiori(omi-)、ウイルタ語umiwuri(umi-)、満州語omimbi(omi-)という動詞を挙げました。水を意味するum-、om-のような語があったことが窺えます。そのことは上に示した数詞の1を見ても明らかです。

日本語のumi(海)やumi(膿)は水・液体関連の語彙なので関係があることがわかりやすいですが、わかりにくいのがomoɸu(思ふ)です。以前に「面白い(おもしろい)」の怪しい語源説明の記事で、中心、心臓、心を意味する*omoという語があって、そこからomoɸu(思ふ)が作られたのではないかと述べました。

古代人はこのように考えていたの記事で、「水」を意味していた語が「中」を意味するようになるまでの過程を図解したので、もう理解のための準備はできています。「水」→「中」→「内臓」というのは一つのパターンですが、「水」→「中」→「心」というのもそれに似たパターンなのです。wata(腸)は前者のパターン、kimo(肝)は前者と後者にまたがるパターン、*omo(心)は後者のパターンといえるでしょう。

ツングース諸語の1が「水」から来たのなら、ツングース諸語の2はどうでしょうか。やはり、「水」から来たようです。ツングース諸語の2は、朝鮮語のtul(2)とも同源でしょう(朝鮮語のhana(1)とset(3)については別の機会に考察します)。

「耳(みみ)」の語源、なぜパンの耳というのか?の記事で、奈良時代に頬を意味していたturaや、毛・髪などを意味していたturaなど、様々な例を挙げ、水・水域を意味するtur-のような語があったのだろうとお話ししましたが、あの話はここにつながります。

ツングース諸語の1が「水」から来て、ツングース諸語の2も「水」から来たのなら、ツングース諸語の3はどうでしょうか。日本語で関係がありそうなのは、奈良時代の自動詞のiru(入る)(四段活用)と他動詞のiru(入る)(下二段活用)です。

「あらかじめ(予め)」とは?の記事で述べたように、奈良時代の動詞の六つの活用形の中で、未然形が最もよく過去の姿を保存していると考えられます。上のiru(入る)(四段活用)とiru(入る)(下二段活用)のケースは、縄文時代の多様性を探るの記事で言及したkomu(込む)(四段活用)とkomu(込む)(下二段活用)のケースと重なります。水・水域を意味するir-のような語から日本語のiru(入る)が生まれ、水・水域を意味するkom-のような語から日本語のkomu(込む)が生まれた可能性があります。

なぜ水を意味していた語が入ることを意味するようになるのでしょうか。水に入ったり、水に入れたりすることを意味していたという点は同じで、そこから水という意味が残ったのがɸitu(漬つ)、ɸitasu(漬す)、ɸitaru(漬る)などで、水という意味が消えたのがiru(入る)とkomu(込む)なのかもしれません。日が沈むことを「日の入り」と言ってきたことを考えると、この可能性が高いと思います(画像はTRAVEL STAR様のウェブサイトより引用)。

水・水域を意味していた語が「中」を意味するようになり、「中」を意味していた語が入ること・入れることを意味するようになるパターンもあります。

※現代の日本語のhairu(入る)は、ɸaɸu(這ふ)とiru(入る)がくっついてできた語です。

ひょっとしたら、umu(埋む)やumoru(埋もる)も、意味が水から水以外の土などに移っていった語なのかもしれません(umu(埋む)は、奈良時代の時点では四段活用と下二段活用の間で揺れており、のちに下二段活用が支配的になりました(上代語辞典編修委員会1967))。

次はモンゴル語の1~3を見てみましょう。

モンゴル語のneg(1)は、ニヴフ語のɲakhr̥(1)ニャクルなどとともに、水のことをnak-、nag-のように言う言語群が存在したことを示しています。

xojor(2)は、テュルク諸語のヤクート語xaja(山)ハヤのような語やウラル語族のネネツ語xoj(山)ホイのような語があって、石、岩、斜面、丘、山などを意味しているため、水・水域を意味していた語がその横の部分を意味するようになったパターンと見られます。

gʊrav(3)は、gʊrvanゴルバンという形もあり、ウラル語族のフィンランド語korva(耳)やkolme(3)などと同源と考えられます。やはり、水から来ていることは確実です。

このように、水と数詞の間に深い関係が認められるのは、日本語だけではありません。ツングース諸語とモンゴル語もそうなら、テュルク諸語もそうではないかと考えたくなるところです。実際、テュルク諸語の1~3も水から来ているようです。しかし、テュルク諸語の数詞には大いに考えなければならない問題が含まれています。

※チュヴァシ語にはpӗr(1)、ikӗ(2)、ik(2)、vişӗ(3)、viş(3)という形も見られます。

テュルク諸語の1は、水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言っていた巨大な言語群から来ていると考えられます(mの部分は言語によってbであったり、pであったり、wであったり、vであったりします)。

テュルク諸語の2は、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた巨大な言語群から来ていると考えられます(jは日本語のヤ行の子音です)。

テュルク諸語の1と2は十分に納得できます。問題はテュルク諸語の3です。テュルク諸語の3はモンゴル語のus(水)を思い起こさせます。

テュルク諸語は、よく似た言語の集まりといえます。それに対して、モンゴル諸語は、あまりに似ていて、方言の集まりのようです。モンゴル諸語だけを研究しても、せいぜい過去何百年ぐらいのことしかわからないということです。何百年か前のモンゴル語では水のことをusuまたはusunと言っていましたが、それ以前になんと言っていたかは不明です。

テュルク諸語は、よく似た言語の集まりですが、少なくとも2000年ぐらいの歴史はあります。テュルク諸語の3は、テュルク諸語全体に共通しているので、テュルク祖語の時代から存在していると考えられます。テュルク諸語の中で、チュヴァシ語は他の言語から早くに分かれており、昔の姿をよく見せてくれることがあります。

モンゴル語の祖先にあたる言語とそれに近縁な言語が言語群を形成していて、その言語群からテュルク祖語あるいはもっと前の段階の言語に語彙が入ったと見られます。モンゴル側で「水」を意味していた語が、テュルク側で「3」を意味するようになったということです。モンゴル語のus(水)が遠い昔にはチュヴァシ語のvişşӗ(3)のような形をしていた可能性も出てきました。モンゴル語のus(水)はアイヌ語wakka(水)、朝鮮語mul(水)、エヴェンキ語mū(水)などに容易には結びつきそうにありません。実際のところはどうだったのでしょうか。

現生人類は遅くとも45000年前には北ユーラシアに出現しており、そこから展開してきた言語の歴史は相当複雑であったと思われます。しかし、言語は多数あったとしても、語族が多数あったとは考えがたいです。農耕・牧畜が始まるよりはるか前の旧石器時代、しかも北ユーラシアです。人間の数自体が極めて少なかったはずです。

現在北ユーラシア(ヨーロッパから東アジアまで)に残っている言語、そしてアメリカ大陸に残っている言語を頼りに、かつて北ユーラシアに存在した言語を徐々に捉えようとしていますが、そうして浮かび上がってくる言語同士がどのような関係にあったのかということも同時に考えていかなければなりません。5000年前あるいは10000年前に全然違う形をしていた語も、45000年前には同じ形をしていたかもしれないのです。

 

補説

イライラする

水を意味する*iraのような語からiru(入る)という動詞ができたのではないかと述べました。おそらく現代の日本語のirairasuru(イライラする)も無関係でないと思われます。

「生きる」の語源の記事で、abaru(暴る)、ikaru(怒る)、midaru(乱る)の例を挙げましたが、水・水域が荒れることを意味していた語が、人が荒れることを意味するようになります。irairasuru(イライラする)もこのパターンと考えられます。

irairasuru(イライラする)のほかに、iradatu(いら立つ)という言い方もあります。現代の日本語で「波が立つ、波を立てる」あるいは「波風が立つ、波風を立てる」と言っていることを思い起こしてください。iradatu(いら立つ)ももともと、水・水域が荒れることを意味していたにちがいありません。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

数詞の起源について考える、語られなかった大革命

本ブログの今後の展開にとって重要になるので、ここで数詞の話をはさみます。

農耕の起源が人類の大革命として語られる一方で、数詞の起源はほとんど論じられてきませんでした。しかし、数詞が生まれたことも大革命です。正確に言うと、人間が数について考え始めたことが大革命です。人間が数について考えることがなかったら、数学の発達はないし、物理・化学・情報科学の発達もないし、現代人が愛用するパソコンやスマートフォンも存在しなかったのです。

インド・ヨーロッパ語族の各言語の数詞がよく揃っていることから、数詞は遠い昔からあるものであるといういささか早計な判断が下されました。しかし、高句麗語の数詞に注目するの記事で示したように、日本語の数詞はウラル語族の数詞とは全然違うし、ウラル語族のフィン・ウゴル系の数詞とサモエード系の数詞も明らかに違います。日本の周辺地域のアイヌ語、ニヴフ語、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル語などもそれぞれに違う数詞を持っています。数詞が遠い昔からあるようには見えないのです。インド・ヨーロッパ語族よりむしろ、数詞の発達が遅かったその他の言語・言語群を観察したほうが、数詞の起源がよく見えるかもしれません。

数詞の起源を考えることはなかなか難しいですが、筆者にヒントを与えてくれたのはフィンランド語のkolme(3)やネネツ語のnjaxər(3)ニャフルでした。

人間の目にまつわる謎の記事で、古代北ユーラシアに水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem、kom-)のように言う言語群が存在し、そこからウラル語族に語彙が入ったことをお話ししました。フィンランド語のkylmä(冷たい、寒い)キルマは、水を意味していた語が氷を意味するようになるパターンです。kulma(隅、角、角度)は、水を意味していた語が端を意味するようになるパターンです。では、フィンランド語のkolme(3)はどうでしょうか。この語も水から来ているのでしょうか。北ユーラシアにはコリマ川(Kolyma River)という川があるし、形的にはよく合います。しかし、「水」と「3」の間にどういう関係があるのか不明です。

ネネツ語のnjaxər(3)も気になります。サモエード系の他の言語では、エネツ語nexu(3)ネフ、ガナサン語nagyr(3)ナギル、セリクプ語nøkɨr(3)ノキル、カマス語nāgur(3)、マトル語nagur(3)です。前回の記事で、古代北ユーラシアに水のことをnak-、nag-のように言う言語群が存在したことをお話ししたばかりです。やはり、形的にはよく合います。しかし、「水」と「3」の間にどういう関係があるのか不明です。

ひょっとして、日本語のmidu/mi(水)とmi(3)の間にも関係があるのでしょうか。とはいえ、数詞の起源を考えるのに、1と2をほったらかしにして3から始めるというのは奇妙です。まずは、1と2について考えるべきでしょう。

katate(片手)とmorote(諸手)

現代の日本語でkatate(片手)、ryoute(両手)と言います。しかし、ryoute(両手)のryou(両)は中国語からの外来語です。ryoute(両手)と言う前は、なんと言っていたのでしょうか。実は、morote(諸手)と言っていました。新潟の「潟(かた)」に隠された歴史の記事では、水を意味するkataのような語が日本語に入り、様々な意味を獲得したことをお話ししました。同記事では、以下の図を示しました。

水・水域を意味することができなかったkataがその横の部分を意味するようになったところです。このパターンは超頻出パターンで、人類の歴史において繰り返し起きています。水・水域を意味することができなかったmoroもその横の部分を意味するようになったと見られます(moru(漏る)やmoru(盛る)などの語があることから、水を意味するmor-のような語があったことが窺えます。水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言っていた巨大な言語群です。moru(盛る)は、水・水域を意味していた語がその隣接部分、特に盛り上がり、坂、丘、山などを意味するようになるパターンで、morimori(もりもり)やmori(森)と同類です)。

川岸を意味する語がたくさんあってもしょうがないので、多くの語は違う意味に移っていきます。こうして、kataはなにかが二つあってその一方を指す時に用いられるkata(片)になり、moroはなにかが二つあってその両方を指す時に用いられるmoro(諸)になりました。

どうでしょうか、なにかが二つあってその一つを指す、なにかが二つあってその二つを指す、なんだか数詞の話につながりそうな気がしないでしょうか。実は、以下のようなことも起きていたのではないでしょうか。

日本語のɸitotu(一つ)のɸito(一)の語源はなんでしょうか。日本語のɸitosi(等し)のɸito(等)の語源はなんでしょうか。

日本語のmizu(水)は*mida→midu→mizuと変化してきたと推定される語ですが、日本語のまわりには水のことをmid-、mit-、bid-、bit-、pid-、pit-、wid-、wit-、vid-、vit-のように言う言語が多数存在していたと考えられます(日本語にとても近い言語を参照)。

水のことをpit-のように言う言語があったことはɸitu(漬つ)/ɸitasu(漬す)/ɸitaru(漬る)から窺えます。bityabitya(びちゃびちゃ)、bityobityo(びちょびちょ)、bisyabisya(びしゃびしゃ)、bisyobisyo(びしょびしょ)なども無関係ではなさそうです。水のことをpitaと言ったり、pitoと言ったりしていたのでしょう。日本語のɸito(一)とɸito(等)はここから来ていると見られます。

上の図を見ればわかると思いますが、川の横の部分を意味していた語は、一方または両方という意味を持つようになるだけでなく、左または右という意味を持つようになる可能性もあります。水を意味するpidaあるいはpidarのような語が日本語のɸidari(左)になったのかもしれません(インド・ヨーロッパ語族の英語water(水)、ヒッタイト語watar(水)、その複数形witar(水域)などを見ると、子音rが付いた形もあったと思われます)。

同じように、水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言っていた巨大な言語群のmik-のような語が日本語のmigi(右)になったのかもしれません(鹿や牛などの動物の胃を食用にしていて、その胃のことをmige(胘)(推定古形*miga)と言っていました。mige(胘)も、前回の記事で説明したwata(腸)やkimo(肝)と同様に、広く内臓を意味し、そこから意味が限定されていったと見られます。「水」→「中」→「内臓」のパターンでしょう。水を意味するmig-のような語が存在した可能性が高いです)。

上の一連の図は、川が流れていて、その横に岸があるという素朴な風景です。筆者はここに数詞の起源があるのではないかと推測しています。古代人としては、左右になにかが並んでいて、左のものまたは右のものを指す、あるいは左のものと右のものを指すという感覚だったのかもしれません。人類の初期の数量把握は、下の図の1段目と2段目を明確に区別し、3段目以降は特に区別しないものだったでしょう。3段目以降は、「いくつか」あるいは「多い」といったところだったでしょう。インド・ヨーロッパ語族の言語も、ウラル語族の言語も、かつては単数形、双数形、複数形(多数形と言ってもよいかもしれません)という三つの形を持っていました。

「3」を意味する数詞はどのように生まれたのでしょうか。なにかが二つあってその二つを指す時に使っていた語を、なにかが三つあってその三つを指す時に使おうとしたのではないかと思われます。奈良時代のmoro(諸)は、morote(諸手)のように二つのものを指す時だけでなく、二つより多いものがあってそのすべてを指す時にも用いられていました。日本語のmi(3)も、フィンランド語のkolme(3)も、ネネツ語のnjaxər(3)も、なにかが二つあってその二つを指す時に使われていた段階を経て、「3」を意味する数詞になったのではないかと思われます(miが川の横を意味していたという話は、「耳(みみ)」の語源、なぜパンの耳と言うのか?の記事でもありました)。そう考えると、「水」と「3」の間につながりが認められることが納得できます。

 

補説

ɸuta(2)の語源は?

ɸito(1)とmi(3)の語源が上の通りなら、ɸuta(2)の語源はどうでしょうか。

日本語のそばに水のことをpita、pito、puta、putoのように言う言語があったと思われます。ɸuta(2)はɸuta(蓋)と同源と見られます。蓋を意味する語は山、山状のもの、頂上、てっぺんなどから来ていることが多いです。ɸuta(2)もɸuta(蓋)も水から陸に上がった語であるということです。

もっと大きく見ると、水のことをpat-、pit-、put-、pet-、pot-のように言う言語群(日本語に比較的近縁な言語群)があって、そこから日本語に語彙が入ったという構図があります。ɸata(端)、batyabatya(ばちゃばちゃ)、basyabasya(ばしゃばしゃ)、potapota(ぽたぽた)、potupotu(ぽつぽつ)、ɸotori(ほとり)などと同じところから来ているわけです。ɸotori(ほとり)のほかに、寸前の状態を意味するɸotoɸoto(ほとほと)という語もありました。このɸotoɸoto(ほとほと)が変化して、hotondo(ほとんど)になりました。

ɸito(1)、ɸuta(2)、mi(3)の背後には「水」が隠れているのです。